「今、わたしには、お兄ちゃんが足りない……」
CV:大空直美
概要
勇者時代は兄と二人で「人類希望の双翼」と呼ばれていた。
自らの持つ加護によって、魔王討伐にのみ向かうことを宿命づけられている。
加護が与えるケタ外れの強さを備えている反面、喜怒哀楽をはじめとした感情表現も含めた人間らしさは、勇者に必要のないものとして加護の力で強力に制限されている。しかし兄ギデオン(レッド)の存在が辛うじて、その制限をギリギリのラインで留め人間性を失わずに保てている。
この「喜怒哀楽が強力に制限されている」というのが、とても曲者であり、ラグナソン兄妹を悩ませ苦しませ続けた元凶。
例えば、風呂に入っても気持ちいいと思えない。加護が体調や汚れを常に清浄・最適化させるため、本来は風呂に入る必要が無い。つまり「風呂に入っても感覚としては空気中にいるのと同じ」なのである。
同様の理由で何かを食べても味を感じない。当然、味覚による喜びを得ることも出来ず「おいしい」を理解する事ができない。ルーティが美味を感じられるのは兄ギデオン(レッド)の料理だけであり、それも加護が弱くまだ味覚を感じられた頃に兄の料理を食べていたから。つまり思い出を使って強引においしいと思い込んでいるだけだったりする。
さらに個人的な理不尽を感じても怒れない上、困っている者はそれがどれだけ自分にとって嫌な相手でも助けないわけにはいかなくなる。(そのため兄を追い出したアレスを内心嫌がっていても拒否できなかった)加護がそれを強制するためである。
のちに、その事実をリットとティセに告白した際には、二人を驚愕させた。そしてリットに対して「(きちんと自身の喜怒哀楽に沿って行動できて)羨ましい」と溢した。それは勇者の加護によって女の子としての涙と弱みのひとつも溢せないルーティにとっての心が流した滂沱の涙だった。
強力な加護のために本人の意志に反して「弱い者、困っている者を助けよう」という強烈な衝動を生ずるが、その衝動は自身の力量や周囲の人間の考えを度外視するため、幼い頃は周囲から浮き、両親も密かにルーティが理解できず扱いに困っていた。唯一、家族として無二の愛情を注いでくれていた(同時にルーティよりも先に動く事で加護の衝動からも守ってくれていた)のが兄ギデオンであったため、実は、まごうことなき正真正銘のブラコンに育っており、その深度は兄よりも深刻である。
兄と、兄をパーティから追い出したアレスとの因縁に決着をつけた後は、加護の衝動を抑える術を手に入れ「勇者ではない、ただのルーティ」としてゾルタンに居座る事を決め、ラグナソン姓では「勇者」として名が知られてしまっている事からルーティ・ルールを名乗るようになる。
(本来ラグナソン姓は兄ギデオンが騎士団副団長になった事で賜った姓であるため、ギデオンが「レッド」として姓を使わなくなった時点でルーティにも使う意味が無いものとなっている。一方で「ルール」は「騎士の規範を守る者」として名乗る通称であり、家名上の姓とはまた意味合いが異なっている)
嘘の歴史のルーティ
兄が死ぬ本来の(デミス神が想定し計画として描いていた)歴史である「嘘の歴史」では、加護が「理想的で前向きな勇者を演じさせる」ため傍目には人間らしく見えるが、実は人間としては破綻した「正義の味方を演じる神のロボット」として生きる羽目に陥っている。
また、この「嘘の歴史」の世界では、ギデオンは騎士ではなく地方守護を担っていた冒険者であったため、ラグナソン姓を賜っておらず、ゆえにルーティ自身も勇者ではあっても身分としては家名の無い平民の「勇者ルーティ」(つまり姓が無い)である。
兄が騎士となって生き残った歴史(要は本編の物語)ではあれほど大事に思っていた兄の死に対して「当然の事」と受け止めて涙ひとつ流すことがなかった。
しかし、そんな彼女を人々は「泣きそうなほど辛い兄の死も、世の人々のためにその辛さを呑み込んで涙を我慢し、心で泣きながら導いてくれる」ととても都合良く誤解して受け止め(ただしヤランドララだけが微妙ながらも違和感を抱いている)、そしてギデオンの死すら人々の信望の糧とし「魔王討伐」という「神が与えた、ただひとつの目的」に突き進んでいく。