概要
鹿内春雄(1946年〜1988年)は日本の元実業家で、フジテレビ元会長であった。ボストン大学中退で若い頃は奔放であったが、フジテレビ入社後は粉骨砕身で働いた。
1981年に日枝久と共に組織改革を実行し、オレたちひょうきん族、なるほど・ザ・ワールド、夕やけニャンニャン等、従来のテレビ番組の概念に囚われない斬新な番組を輩出し、フジテレビを視聴率トップに立たせ、13年に渡る黄金時代を築き、部下の日枝を「立場を超えた親友」と評していた。
また、南極物語等映画とのタイアップのメディアミックス企画にも積極的で、その技法は後々の作品にも影響を与えた。
1988年4月、ゴルフ中に突然急逝し、突然の死に衝撃を与え、先の日枝は春雄氏の亡骸を見て慟哭した逸話もある。また、余りに突然の死に「何者かに謀殺されたのでは?」と言う都市伝説が今もある。
没後
春雄元会長の没後、父の信隆創設者が代表に復帰するも1990年に急逝。娘婿の鹿内宏明が会長に就任する。しかし、金銭管理が厳しく経営悪化した地方局の支援を拒否(その後宏明解任後にネットチェンジを実行)し、余りにもワンマンで強引な手法から周囲からの反感が凄まじく1992年7月21日に宏明会長は解任され、日枝が代表となり、ここに鹿内一族のフジテレビ支配は終止符を打った。