概要
鹿内春雄(1946年〜1988年)は日本の元実業家で、フジテレビ元会長であった。ボストン大学中退で若い頃は奔放であったが、フジテレビ入社後は粉骨砕身で働いた。
1981年に日枝久と共に組織改革を実行し、「クイズグランプリ」と「スター千夜一夜」等の名番組を輩出した平日夜7時台後半の帯番組枠を81年秋季に廃枠。日替わり編成にした事で自由な編成を組める様にした。
在任中にDr.スランプ、うる星やつら、北斗の拳、タッチ、ハイスクール!奇面組、ドラゴンボール、めぞん一刻、北の国から、オレゴンから愛、東映不思議コメディーシリーズ、東映少女ドラマシリーズ、月曜ドラマランド、月9、オレたちひょうきん族、笑っていいとも!、なるほど!ザ・ワールド、夕やけニャンニャン等、従来のテレビ番組の概念に囚われない斬新な番組を輩出し、フジテレビを視聴率トップに立たせ、13年に渡る黄金時代を築いた。部下の日枝を「立場を超えた親友」と評していた。
只、ローカルセールス枠だった月曜夜7時前半と金曜夜7時前半枠の低迷は克服出来なかった。
また、南極物語等、映画とのタイアップのメディアミックス企画にも積極的で、その技法は後々の作品にも影響を与えた。
1988年4月15日、ゴルフ中に突然急逝し、突然の死に衝撃を与え、先の日枝は訃報を聞き慟哭した逸話もある。また、余りに突然の死に「何者かに謀殺されたのでは?」と言う都市伝説が今もある。
没後
春雄元会長の没後、父の信隆創設者が代表に復帰するも1990年10月28日に逝去。娘婿の鹿内宏明が会長に就任する。しかし、金銭管理が厳しく経営悪化した地方局の支援を拒否(その後宏明解任後にネットチェンジを実行)し、余りにもワンマンで強引な手法から周囲からの反感が凄まじく1992年7月21日に宏明会長は解任され、日枝が代表となり、ここに鹿内一族のフジテレビ支配は終止符を打った。
そして春雄元会長の没後の1994年、視聴率トップを日本テレビに明け渡し、第一期黄金時代が終わった。