宝永噴火
ほうえいふんか
1707年(宝永4年)に発生した富士山の大噴火
江戸時代の1707年 (宝永4年) に発生した「宝永富士山噴火」は、富士山の歴史上記録に残る10回の噴火のうち、最新かつ最大の噴火である。火山爆発指数はVEI5。噴火は11月23日10時頃に始まり、12月9日まで約2週間続いた。この噴火による直接の死者の記録は残っていないが、火山噴出物等による被害は甚大であった。
この噴火が起こる49日前には、南海トラフで「宝永地震」と呼ばれる巨大地震が発生している。
宝永噴火は「富士山の三大噴火」の1つでもある。他の2つは「延暦噴火」と「貞観噴火」であり、これらはいずれも平安時代に発生した。
宝永噴火はいわゆる「プリニー式噴火」であり、火山灰を大量に噴出した。注目すべきなのは、富士山から遠く離れた江戸でも大量の火山灰が降ったことである。江戸での降灰の様子は、新井白石の随筆『折たく柴の記』に詳しく記録されている。
もし、宝永噴火と同じ規模の富士山噴火が現代に発生すれば、東京を中心とする首都圏にも大量の火山灰が降り、都市機能が大打撃を受けて甚大な被害が出ることは、間違いないのである。
宝永噴火以後、現在に至るまでの300年以上にわたり、富士山は全く噴火していない。しかし、次の富士山噴火がいつかは必ずやってくることを、忘れてはならない。