概要
イラスト、漫画、ゲームなどと、その対象を悪い物だとして、酷く低い評価を下すこと。
対象の特徴や特性、それらに内封される欠点を分析して次回はより良い結果になってほしいと客観的に主張する建設的なものと、
反対に、事実上その対象を中傷・罵倒することだけを目的にした感情論とマウントだらけの非建設的なものに分かれる。
そして現実では圧倒的に後者の割合が多い。
「私は馬鹿にしてはいない、これは批判である」とはよく聞く言い訳だが、その大半は問題の具体的な解決案を示すわけではなくひたすらに罵詈雑言を繰り広げただけで終わってしまっているのも珍しくない。
「SFの9割はガラクタだ。ただし、どんなものでも9割はガラクタだ。」とは作家シオドア・スタージョンの名言だが、事実として、欠点を持たない対象や内容など存在しないのである。
とは言っても……
ただし、ネタであるという前提が守られる事と一定の節度が保たれるならばむしろ大きすぎるくらいに需要が見込まれる。
ファミ通のクロスレビューにおけるクソゲーへの評価文やメーデー!航空機事故の真実と真相での中立的な解説から突然辛辣な発言(=毒舌)を連発しだすナレーションなど、抱腹絶倒なギャグとしてキラリとセンスを光らせるものは非常に多くユーザーの腹筋に適度な打撃を与えてくれる。
そう、用法と用量さえ守るならば酷評は我々の生活に彩りを与えてくれるのである(極論)
例1…「これじゃ怖いのはジュンジのドアップだけ、本を読んでいるほうがマシだ!」
例2…「無能ともいえるルッツ」「根本的な疑問が生じます。なぜこの2人は旅客機のパイロットになれたのでしょうか」