語意
対象の特徴や特性を深く理解した上で改善点を指摘する建設的なものから、その対象の特性を理解しないままなされる的外れな批判や、コンセプトといった前提条件自体を全否定するような言いたい放題のもの、あるいは単なる煽りや腹いせや八つ当たりといったどうしようもないものなどに分かれるが、ある酷評がどれに属するのか判断するのは、その判断者も対象を深く理解していない限りは困難である。
酷評(する側)
編集者とか監督といった立場の人間は、基本的に指導する立場の人間を必要以上に酷評するべきではない。的外れな評価をして創作者や競技者を潰してしまうこともあるから責任重大である。
一方で、広く世に出ている作品に対しては、読者や視聴者はただの消費者に過ぎないのだから、(作り手への誹謗中傷に及ばない限りは)たとえ的外れな意見だろうと好き勝手言って構わない。視点の違う酷評をぶつけ合う議論の中で、作品への理解が深まることもあるだろう。
なお、ファミ通のクロスレビューにおけるクソゲーへの評価など、「芸としての毒舌」もあるが、ネットではこれを変に意識したのか、大して面白くもなければ的確でもない、ひたすらウザくて寒いエアプ丸出しの悪口を垂れ流す「クソレビュアー」が大勢生息している。
酷評(聞く側)
オタクの中には、「酷評が絶対に許せない」タイプというのが一定数おり、好きな作品をけなされると異様なほどいきり立ち攻撃的になる。こういう輩は、自分とお気に入りの作品との距離感がゼロであり、「ぼくの大好きな〇〇」への批判と「ぼく」への非難の区別がつかないのである。
中にはブログや電子掲示板のアンチスレなどの酷評や悪口に腹を立て、怒りにかられて脅迫じみたコメントを寄越す人もいるが、管理人や住人にとっては荒らし以外の何者でもない。
酷評を目にすると怒りをコントロールできなくなる自覚のある人は、ファンの溜まり場だけに出入りするようにし、ネットで不用意に好きな作品の検索をしない方が精神衛生上よいだろう。ファン同士であっても解釈違いで争いになることも、また無いとは言えないのだが...。
なお、同じオタクでも作品と距離感を置いて楽しむタイプもおり、こういった人は好きな作品を酷評されても基本的に精神的ダメージを受けることはない。