概要
まず解釈という意味を辞書から引用すると、「文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること。また、その理解したところを説明すること。その内容」とある。
つまり解釈違いとは、「一つの話を見聞きした際に、自分が理解した内容と第三者が理解した内容が違う」という事になる。
物語を楽しむうえでは、同じ内容を多角的に理解することができるという長所と、理解した内容が真逆である為に人間関係が対立するという短所を持つ。
と言っても娯楽の上だけで済めば問題ない話なのだが、ここに政治・経済・宗教・犯罪と言った内容が絡むと、特に短所の面が色濃く出てしまい、非常に大きな問題になる。
21世紀の日本において
主に何らかの作品のファン同士でキャラクターや作品の位置づけについて行われることが殆どである。
具体的には、「このキャラクターの在り方や行いは、妥当なものか良くないものか?」という是非の判定や、「このキャラクターはこんな事をして、こんな事を言う奴なのか?」というキャラ付けの一貫性についての議論などで起こる。
また、明言されていない今後の展望や裏設定、正確な区分といった、非公式の予想考察なども含まれる。
これは何もファン同士の対話の中だけで行われるわけではなく、原作では扱いが悪いが、アニメ版では扱いが良い、もしくはその逆など、ファンと公式の間で解釈違いが生じる時も当然ある(特にクロスオーバー作品)。
近年では「のめり込める娯楽」が減ったが故に、"自分の好み"を汚される解釈違いに対して攻撃的になるユーザーが増えてきており、ファン同士や二次創作は元より、公式が勝手に言ってるだけなどと公式にも噛みつくアンチと化してしまうケースも散見される。
代表的キャラクター
※乱立にならない様、数件のみ記載する。個別の記事に書くこと。
主人公。解釈違いの起きやすいキャラクター。
作者の二人はデスノートさえなければ優秀で善良な人間としつつも、作中においては完全に悪役、ボスキャラとして描いており、「新世界の神になる」に代表される作中での言動や行動は完全なる悪。
一方で、彼の行動の目的は「犯罪者や、人を傷つける人間のいない世界を作り出すこと」であり、行動自体は間違ってはいても、目的や考え方としては多くの人間が共感しうるものである。
そのためか、原作、アニメ版、実写映画版、ドラマ版と、全てにおいて違う結末が存在しており、いまだにファンにおいても彼の行いが正義か悪かで意見は分かれる。
ラスボス。原作者とアニメ版の監督で明確に解釈違いが起きているキャラクター。
原作者としては、分かり合うことのできない絶対悪と言う絶対に消し去るべき敵と言う扱いだが、FA版の監督はどこか人間的な感情を持った哀しい悪役と言う、どこか共感できる存在として描かれている。
特に顕著な差として表れたのが、ヴァン・ホーエンハイムのお父様に対する態度。原作版では終始敵対しており、その最後にも特に何も触れられずに描かれているが、FA版では自身の血を分けた存在として、最期にはどこか悲しげな様子を見せた。
言わずと知れた国民的ヒーローであるが、その定義付けは作品ごとに異なる。
例えば昭和ライダーは「人間の自由のために悪の組織と戦う戦士」を指したが、平成時代に入ると価値観の多様化に伴い、明確に『悪の仮面ライダー』が登場し始め、ライダー同士の戦いも珍しくなくなり、ヒーローもの=勧善懲悪の価値観が根付いた旧来のファンを突き放し始めた。
更に時代が進むと「正式な仮面ライダーか否か」公式側でも定義が難しい存在も現れ始め、ファン間でも度々論争の的になってしまう事もある。
このように1シリーズごとに「仮面ライダー」の定義は存在するが、シリーズ全体を通して見た時に一貫した明確な定義がない事が解釈違いの要因となっているようだ。
歴史上に起きた解釈違い
現代日本においては、アニメや漫画、ゲーム、ライトノベルと言った娯楽作品をファン同士で話し合うときに起こるくらいで、いろいろ言っても結局のところは「まあ、作品が面白ければそれでいい」で終わるところがある。
だが、これが宗教の話になるととてつもなく厄介であり、特に西洋においては歴史的に大きな問題としていまだに根強い影響を与えている。
一神教
まずそもそも、現在の情勢に関わる二大宗教キリスト教とイスラム教だが、これはそもそもが、ユダヤ教と言う宗教に対する盛大な解釈違いである。
それぞれの歴史や教義などの詳細な説明は長くなるため省くが、簡単に言えば、ユダヤ教の信者であったイエス・キリストを救世主と思うか、思わないかの解釈違いが、キリスト教の発祥である。
そしてイスラム教は、キリストの存在を認めたうえで(ただし、イスラム教では、イエスがキリスト=救世主というのはイエスの弟子達の解釈違いで、あくまで預言者の1人という解釈)、最後の預言者としてムハンマドが現れたと考えたのが発祥である。
ではなぜ、同じ宗教同士で戦っているのか? それは、乱暴な言い方をすると、一神教が一つの神しか信仰するべき神として認めないから。
「神は一つだけなのだから、正しい教えは一つだけ」と言う考えの元、解釈違いによって宗教そのものが分離し、対立し、時には戦争まで起こしている。
このほかにもキリスト教は、カトリックと東方正教会の分離や、プロテスタントの発生など、さらなる解釈違いを起こしており、特に「神についての考え方」で非常に大きく思想が分かれている。
キリスト教における一番極端な「お前の方が『解釈違い』だ」論争の1つは「人間が神に救われるかは、その人間の行ないや信仰による」(主にカトリック)VS「どの人間が救われるかは、神が自分の都合であらかじめ決めており、救われる予定の人間しか神を信仰したり善行を成す事は出来ない」(主にカルヴァン派)であり、これが欧米の小説やエンタメにおいて「人間には本当に自由意志が有るのか?」「人間が善なる神に作られたのなら、悪を成す事こそ神にさえ縛られない自由意志の存在の証明ではないのか?」というテーマや、「人間または知性ある存在から自由意志を奪う者こそが悪」というテーゼが良く出て来る理由の一因となっている。
ちなみにイスラム教も、スンナ派とシーア派と言う分離が起っているが、これは主に「イスラム教の後継者は誰にするか」と言う点で解釈違いが起っているため。
多神教
解釈違いは何も一神教にだけ起きるものではなく、多神教においても起きる。
一神教とは違い、その解釈違いも含めて多神教と言えるため、対立関係が起きづらいので認識されにくいだけで、内部では同じ神様とは思えないような逸話がごっちゃになることもある。
そんな多神教の中でも最大の解釈違いが、ヒンドゥー教と仏教であろう。
仏教ではヒンドゥー教と仏教は分離した別の宗教と言う考え方だが、ヒンドゥー教では仏教の開祖である仏陀はヴィシュヌ神の分身の一つであるという考え方をしている。
逆に仏教では宗派にもよるが、天界の中でも一番上から無間地獄までを含む六道三界の世界は無数に存在し、それぞれが生成と消滅を何度も繰り返す、という考えがあり、ヒンドゥー教の創造神であるブラフマン=梵天は、この世界(娑婆世界)の今のサイクルにおいて「色界(欲望や煩悩は超越しているが、姿形なのどの肉体的な要素は存在している世界)の最高天に最初に生まれた存在が、他の『姿形を持つ者達』が自分より後に誕生したのを見て、自分こそ、この世界の創造主だと勘違いしてしまった」とする説も有る。
「一神教に比べて多神教は寛容」などという考えも有るが、実の所は「お前らの神様は、ウチの神様の化身」「お前らの神様もスゲ〜けど、ウチの神様に比べりゃ下級神」という事になりがちである。
ちなみに、仏教において釈迦が悟りを開いたとされるブッダガヤでは長年に渡ってヒンドゥー教徒によって動物を生贄に捧げる儀式(殺生禁断の仏教からすれば嫌がらせ以外の何物でもない)が行なわれており、インドにおいてヒンドゥー教徒と仏教徒(※)の対立の原因の1つとなっていた。
※:インド独立後に被差別階級出身だった初代法務大臣のビームラーオ・アンベードカルが中心となって、被差別階級出身の人々が仏教に改宗する運動が行なわれた。現在ではインドの人口の約1%が仏教徒。(割合だと大した事は無いが、インドの人口そのものが馬鹿デカいので、インドの仏教徒人口は1000万以上である)
天動説と地動説
宗教的には地球が中心である天動説が中心だった。しかし現実は地動説の方が正しく、解釈違いと言える状態となってしもうた。
関連タグ
カップリング論争:カップリングに対する解釈違いから起きる論争
ピクシブ百科事典:pixivユーザー同士の解釈違いが主な原因で編集合戦、削除荒らし、復元荒らしが発生している
有償依頼(Skeb、pixivリクエスト):依頼文にキチンと記述しなかったためにクリエイターとクライアント(依頼人)の間で解釈違いが起こってしまい、クライアントの望み通りでない作品が納品されるケースもある