拡大解釈とは、思考パターンの一種である。
概説
物事の意味を理解し、自分の思考に沿ってより理解を深めるのが「解釈」である。
本来の意味を、何かしらの類似に基づいて別の物事に対して適用させること(類推)などを拡大解釈という。
本来は中立的な表現であるが、俗語的には「本来の意味から逸脱した自分勝手な解釈」という否定的な意味合いで用いられることが多い。
法律用語
法律の条文の文言の意味を、日常的な意味よりも広く解釈することを法律用語では拡張解釈という。
法律制定時にあらかじめあらゆる事態を想定して事細かに規定を盛り込むことは困難なので、立法時に想定されていなかったような事件(刑事事件や民事訴訟など)が起こった場合などは、法律を読んだままの意味(文理解釈)だけでは不十分で、何らかの拡張解釈を駆使して対処せざるをえない。
当然、事件の当事者たちが好き勝手に法律を拡張解釈しては法秩序が成り立たないので、裁判の判例(司法解釈)、閣議決定や中央省庁からの通達(行政解釈)あるいは国会の決議(立法解釈)などが権威ある法解釈として尊重される(有権解釈)。ただ、民間で根付いているマナーやローカルルールのようなものも全く無視されるわけではなく、公序良俗に反しない範囲において「慣習法」としてある程度考慮される。
宗教の教義
多くの宗教には食のタブーがあるが、本来の教義では禁止されておらず、拡大解釈が慣習として根付いてしまったというものも多い。日本では仏教の影響で肉食が禁止されていた時代があるが、仏典を見ると釈迦も布施された肉を食していたことが分かる。中国や日本の仏教で肉食禁止と言われるようになったのは「五戒」の不殺生戒の拡大解釈による。仏僧たちの間では『源氏物語』などのフィクションを楽しむことすら五戒の不妄語戒に反するという議論も見られた。
また、イスラム教徒個人の行為から国家の運営までを規定するイスラム法(シャリーア)はイスラム国家において法体系の根幹とされたが、実際には拡大解釈による脱法行為(ヒヤル)を駆使することにより、地方的慣習や支配者の定めた世俗法と共存してきたことが知られている。利子を取って金を貸すのは本来はシャリーアに反するのだが、ヒヤルを駆使することにより金融業が成り立っている。現代では、イスラム過激派のテロ行為はジハードの拡大解釈としてしばしば非難される。
俗語的用法
二次設定
我々Pixivユーザーにとって最も身近な拡大解釈の一つ。原作に存在する設定や描写から独自に妄想を膨らませて二次設定を作成し、二次創作として発表する。説得力を感じられればファン層の中で常識化していく。作品によっては「創作物はファンと共に作り上げるもの」という考えから公式設定の参考にされる場合もある。
ただし、俗にいう「解釈違い」が発生した場合は、ファンの間で論争になる。「カップリング論争」や「最強ランキング」については、公式から言及されない限り結論が出る問題ではなく、拡大解釈や憶測をぶつけ合う泥仕合になりがちである。
歴史小説/伝記/舞台化
基本的に歴史的事実に基づいて執筆することが求められるこれらの書物だが、歴史的事実だけを列挙していては読み物としてのエンターテイメント性に欠くことになる。
そこで作者はドラマを生むために、歴史上の人物に自分なりの拡大解釈をつけて性格を整える必要に迫られる。
しかしこれもあまりに好評を博し過ぎると、世間での印象と実際の人物像とで乖離が発生してしまい、事実以上の好印象or悪印象を付加してしまうケースがある。
特に江戸時代になり、「歌舞伎」「浄瑠璃」を筆頭とした舞台演劇と貸本による読書習慣の流行により、数多くの偉人伝に拡大解釈が付随した。
昭和時代になって司馬遼太郎をはじめとする歴史小説家の活躍、またラジオ・テレビによる時代劇ドラマの流行も、この流れを後押しするかたちとなった。
そのわかりやすい一例が『水戸黄門』。
本来、主人公の徳川光圀は諸国漫遊の旅には出ておらず、また憎まれ役の徳川綱吉と柳沢吉保も光圀とは「生類憐みの令」で意見が食い違ったに過ぎない。
しかし幕末に流行した講談『水戸黄門漫遊記』の存在に加えて、「光圀が法令批判に綱吉へ犬20頭分の毛皮を送りつけた」という逸話(後世の創作)、また当時の江戸の庶民から綱吉治世が批判的に受け取られていた事実から、現在の水戸黄門のイメージが確立。
それをドラマ化したことで、現在では徳川光圀=水戸黄門のイメージで定着。同時に憎まれ役の2人は本来なら名政治家であるはずが、水戸黄門以外でも悪役にされがちになってしまった。