事故概要
発生日時 | 1983年16月8日 |
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発生場所 | アラスカ州コールド・ベイ沖の北太平洋上 |
機種 | ロッキード・L-188 エレクトラ |
乗員 | 5 |
乗客 | 10 |
犠牲者 | 0名(全員生存) |
経緯
プロペラ脱落まで
リーブ・アリューシャン航空8便はアラスカ州のアリューシャン列島にある小さな空港であるコールド・ベイ空港からワシントン州のシアトル・タコマ空港へ向かっていた。離陸して数分後、機長がエンジンから異音がしていることに気づき、航空機関士に見に行かせる。そこで彼はキャビンアテンダントとともにとんでもないものを見てしまう。なんとあろうことか目の前で第四エンジンのプロペラが脱落。外れたプロペラが機体下部に穴をあけてしまう。その結果外気が出ていき、急激な温度変化と気圧変化により機内全体に霧が立ち込めてしまった。
動かない操縦桿との格闘
コクピット内の霧が晴れたとき、機体は右に傾いてしまっていた。慌てて操縦桿を握り水平に戻そうとするが、コンクリートで固められたようにビクともしない。4番エンジンを停止したのち、機長は自動操縦をオンにする。これが大正解で、機体は水平に戻った。さらに徐々に高度が下がり、低酸素状態になるという事態も避けられた。だがしかし速度を下げようとしてもスロットルレバーが効かない=速度調整ができないという事態に。さらに自動操縦の横方向への修正ができないというかなり最悪の状況になっていた。
そこで副操縦士が機長とともに目いっぱい操縦桿を押してみたところ、なんと操縦桿がわずかに動いた。それによって旋回が可能になり、陸地に向かうことができるようになった。
着陸まで
そのあと、管制官との交信の末、機長はアンカレッジ国際空港へ向かうことを決意。道中に3000メートル級の山があり、乱気流があればさらにひどい事態もあり得たが、ほかの候補であったキングサーモン空港などでは滑走路が足りず、オーバーランの危険性があったため苦渋の決断であった。幸いなことに乱気流は発生せず、この時には自動操縦を利用して旋回のみならず機首角度の調整もできるようになっていた。
機長が空港上空で旋回している間に燃料を消費させ、その間に管制のすすめで自動操縦を切ってみたところ、なぜか操縦桿が動くようになっていた。着陸できることは分かったが、相変わらず速度を下げられない。2番エンジンを停止させ多少の減速はできたもののそれでも着陸には不十分であった。一度着陸を試みたが、急に高度を下げたことによって速度が上がりすぎていたため断念。
二度目のチャレンジでは全エンジン緊急停止させるという後戻りのできない(通常の油圧ブレーキすら使えない)中、何とか緊急ブレーキのみで滑走路脇の側溝にはまって機体は停止。タイヤが燃えるのみでさしたる損傷もなく、無事に全員地上へ帰還を果たしたのである。
事故調査
のちのNTSBの調査(担当はデニグロことデニス・グロッシ)では、結局落下したプロペラの回収ができなかったためプロペラ脱落の原因はわからなかった。しかし、操縦不能となった原因は判明した。脱落したプロペラが機体下部を傷つけた際に手動操縦用のケーブルが機体床にサンドイッチされてしまい、動かなかったのである。この時エンジン制御用のケーブルは破断していた。そして、機長と副操縦士が二人で必死に操縦桿を押したり引いたりしていた結果、ケーブルが動くだけの隙間ができていたことが判明。無事に着陸できたのである。
クルーへの評価
機長の冷静な判断や、何時間もの間動かない操縦桿と奮闘したおかげで無事に全員が生きて帰ってこれたことに対し、ロナルド・レーガン大統領から表彰された。
ニコニコ動画などでは、操縦桿を無理くり押したり引いたりすることに対して筋肉(式)操縦とネタになっているが、本人たちからしたらたまったものではなかっただろう。
関連映像