概要
アメリカ合衆国とスウェーデンの関係(アメリカがっしゅうこくとスウェーデンのかんけい、英語:Sweden–United States relations、スウェーデン語:Relationer mellan Sverige och USA)は、アメリカ合衆国とスウェーデンの両国関係の事である。スウェーデンは1783年9月にアメリカとイギリスがパリ条約を締結する前に、アメリカ合衆国を承認した最初の国である。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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アメリカ合衆国 | 大統領制 連邦共和国 | ジョー・バイデン | 962万9091平方キロメートル | 3億3189万3745人(2021年7月) |
スウェーデン | 議院内閣制 立憲君主国 | マグダレナ・アンデション | 45万295平方キロメートル | 1048万7859人(2022年6月) |
歴史
初期
1638年3月にスウェーデンはデラウェア川のほとりに、最初の植民地であるニュー・スウェーデンを設立した。1655年9月にニュー・スウェーデンはオランダに征服され、この地はオランダの統治に服する事となった。1783年4月にアメリカとスウェーデンはフランスのパリで友好通商条約を締結し、この条約で両国の通商関係が正式に確立された。
1801年5月に開始された第1次バーバリア戦争で、スウェーデンはアメリカと同盟を結んだ。同戦争で両国はバーバリアの海賊と戦い、地中海での貿易のさらなる混乱を防いだ。
関係悪化
1952年4月にタゲ・アーランダー首相がアメリカを訪問し、ハリー・トルーマン大統領と会談した。アーランダー首相はアメリカの大統領と会談した、最初のスウェーデンの首相である。
1968年2月にオロフ・パルメ教育相が首都のストックホルムで、グエン・トー駐ソ連北ベトナム大使と共にベトナム戦争に反対する抗議行動に参加した。その後アメリカはスウェーデンから大使を召還し、1970年2月まで駐スウェーデンアメリカ大使のポストは空席のままだった。
1972年12月にオロフ・パルメ首相はスウェーデンの国営ラジオで演説し、アメリカのハノイ爆撃をいくつかのナチスの行為と比較した。アメリカはこの比較を「酷い侮辱」と呼び、スウェーデンとの外交関係を凍結した。
関係改善
1986年3月にイングヴァル・カールソン首相が就任すると、両国関係は改善した。カールソン首相は1987年9月にロナルド・レーガン大統領と会談し、1961年3月以来26年と半年ぶりにスウェーデンの首相がホワイトハウスに招待された。
2001年9月にアメリカで同時多発テロが発生し、その直後にスウェーデンはアメリカに同情を表明した。アメリカ主導のアフガニスタン侵攻を支持したが、2003年3月のイラク侵攻に反対して「侵略は国際法違反である。」との理由を付けた。
2006年10月に中道右派のフレドリック・ラインフェルト首相は、新政府が「大西洋横断リンクの強化」に取り組むと宣言した。ラインフェルトが所属する穏健党は社会民主主義者よりもアメリカに友好的であり、2003年3月のイラク侵攻とスウェーデンのNATO加盟を支持した。なおラインフェルトは2007年5月にホワイトハウスで、ジョージ・W・ブッシュ大統領と会談した。
2013年9月にバラク・オバマ大統領がスウェーデンを公式訪問した。これは現職のアメリカの大統領によるスウェーデンへの最初の訪問であり、訪問に関連して両国関係は「これまで以上に良い。」と表現された。
2019年6月にアメリカのラッパーであるエイサップ・ロッキー(本名:ラキム・メイヤーズ)が、スウェーデンでの滞在中に暴力事件を起こして拘束された。ドナルド・トランプ大統領はスウェーデン政府に、メイヤーズの釈放を要求するツイートをいくつか行った。ロベーン首相の報道官はトランプ大統領の要請に応えて声明を発表し、政府はスウェーデンでの法的手続きに影響を与える事は許可されておらず、「法の下では誰もが平等である。」と述べた。
経済
アメリカとスウェーデンは強力な経済関係があり、アメリカ企業はスウェーデンで最も代表的な外国企業である。
軍事
2011年2月に開始されたリビア内戦の時期に、スウェーデン空軍はNATO及びアメリカと緊密に連携した。
スウェーデンは長らく国際問題において、中立の政策を追求してきた。現在のスウェーデンはNATO関連の平和の為のパートナーシップと、ユーロ大西洋パートナーシップ評議会に参加している。
冷戦時代にスウェーデンはソ連の攻撃に備え、秘密裏にアメリカからの軍事支援に備えていた。