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二谷英明の編集履歴2022/09/03 20:00:08 版
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概要

1930年(昭和5年)1月28日、京都府舞鶴市生まれ。妻は白川由美、長女は二谷友里恵

来歴

同志社大学を中退後、昭和29年にラジオ佐世保に開局と同時に入社。3年間、司会や英語放送のアナウンサーを務めた。

昭和31年に日活の第3期ニューフェイスとして入社。同年「沖縄の民」で俳優デビュー。昭和36年に日活スター映画のローテーションとなる「ダイヤモンドライン」のメンバーに入り、「ダンプガイ」のニックネームで石原裕次郎小林旭宍戸錠赤木圭一郎らとともに日活アクション路線の全盛期を築くとともに、ヒーローのライバルや相棒、あるいは上司役といった、貫禄ある準主役級としての出演が多くなり、あらゆるジャンルの日活映画に欠かせない存在として高く評価されている。

日活スターの中でも比較的年長者であったこともあり、実際に日活撮影所でも「エイメイさん」と呼ばれ、多くの若い俳優達から頼られる存在で人望も厚かった。

昭和40年代からはTVドラマにも活動の場を広げ、中でも昭和52年から放送された「特捜最前線」では特命課課長・神代恭介役で主演を務め、昭和54年の北海道ロケ中にスキーで転倒し、首の骨を折る重傷を負ったが4か月の治療を経て復帰。同作では自身が監督も務めたエピソードもあり、昭和62年まで10年にわたって放送され、彼の代表作の一つとなった。

俳優活動の傍ら、平成5年に脚本家の小山内美江子らとともに教育を受けられない国々の子供たちのために学校建設活動を行う特定非営利活動法人「JHP・学校をつくる会」を設立。自ら何度もカンボジアに赴いて学校建設に尽力するなど、「JHP・学校をつくる会」の副会長理事として活躍。その他、日本映画俳優協会の理事長、日本俳優連合の専務理事を務めた。

平成24年1月7日、肺炎のため他界。享年81歳だった。

主な出演作

劇場版映画

TVドラマ

TVCM

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