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概要編集

本名は赤塚親弘。

ニックネームトニーアメリカの俳優トニー・カーチスから拝借したもの。決してこの人にちなんだものではないので念のため。


東京麻布生まれだが、戦火を逃れる形で神奈川県鎌倉に引っ越す。小学校高学年の時に、同じく鵠沼に引っ越した。


神奈川県立鎌倉高校卒業後、成城大学に入学したのだが、元々は船員になりたくて東京商船大学(2003年に東京水産大学と対等合併し、現在の東京海洋大学となっている)を受験したのだが、滑ってしまい、そこに入学した。ゆえに、目標を失い、漠然とした毎日を送っていた。

そんなとき、父親の友人から、「日活のオーディション受けてみない?」と言われ、「いいアルバイトになるからいっか」と、ものすごく軽い気持ちでそれを受けたところ・・・・・・・・何と合格してしまった。


かくして1958年8月、日活に第4期ニューフェイスとして入社したのだった。

本名で何本かエキストラとして出演、当時日活に在籍していた、映画監督の井上梅次(1923~2010、生涯110本の映画のメガホンをとったと言われる。テレビドラマでも活躍。タカラジェンヌから女優に転身した月丘夢路はこの人のかあちゃん)によって「赤木圭一郎」の名前をもらい、「狂った脱獄」(1959年4月公開)で本格デビューを飾る。


初主演映画は1959年9月に公開された「素っ裸の年令」。それから約半年後に公開された「拳銃無頼帳・抜き射ちの竜」で人気が爆発した。この「拳銃無頼帳」はシリーズ化された。


その後も「男の怒りをぶちまけろ」や「霧笛が俺を呼んでいる」、「錆びた鎖」などの主演映画がヒットしたものの、その映画の撮影は多忙を極め、結果、雑誌インタビューでは「俺なんてバカみたい」だの「休みてぇ」だのと平然と弱音を吐く様になり、挙げ句の果てには、「映画そのものは好きだけど、やるのは好きじゃない」という、何とも身も蓋もないことを言い放ってしまう・・・・・・・・・・・。また、映画会社を越えて親しくなった夏木陽介に対し、「本当はアクション映画ではなく、君がいる会社が手掛けるような、文芸作品に出たいんだよ」と語ったことがあった。


その一方で、ヒマを見ては詩を書き、映画「灰とダイヤモンド」(1958年に制作されたポーランドの映画)を何度も観覧し、さらにはつてを頼って購入したイギリス製のスポーツカーを乗り回していた。

また、歌手としても活動しており、日本グラモフォン(現在のユニバーサルミュージック日本法人)からシングル12枚、アルバム1枚、それぞれ(生前に)リリースしている。


そして1961年2月14日、東京・調布の日活撮影所において自動車ゴーカート)事故を起こし、それから一週間後の同月21日、入院先であった狛江市の慈恵医大第三病院でこの世を去ってしまう。21歳9ヶ月の若さであった・・・・・・・・・・・。


そうしたこともあってか没後も人気は根強く、私設ファンサイトも数多く存在している。


彼の名は、リアルタイムでない若者達にも語り継がれていくのだった。


関連タグ編集

  • 中川圭一秋本治が彼をモチーフに生み出したキャラクター。
  • 赤木しげる:ネーミングモデルが赤木圭一郎。
  • ジェームズ・ディーン:同年代の男優で早世したこともあって彼に準えられることも。しかもシチュエーションは違えどどちらも自動車事故で命を落としてしまった。
  • 高橋英樹:彼の補充で日活にニューフェイスとして入社したのが芸能活動をはじめたきっかけ。ゆえに「赤木さんが死ななければ、私は芸能界には行かなかったと思う」としばしば語っている。
  • 加山雄三:夏木陽介同様、映画会社を越えた親友。赤木をモチーフにした「夕映えのスクリーン」を山川啓介と共に制作し自ら歌唱している。
  • かまやつひろし分野を越えた親友。ゴーカート事故の際日活撮影所に居合わせていた。しかもどちらが先にゴーカートに乗るかでもめ、じゃんけんで決めた、その矢先の事故だった。

参考資料編集

  • 赤木圭一郎 光と影・二十一歳のフィナーレ/野沢一馬編・著、成星出版
  • みんな日活アクションが好きだった/大下英治著、廣済堂出版

外部リンク編集

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