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かまやつひろし

むっしゅかまやつ

かまやつひろしとは、日本のポピュラーミュージック史に燦然と輝くミュージシャン。

概要

本名・釜萢弘(これで「かまやつひろし」と読む)。またの名をムッシュかまやつ

1939年1月東京都生まれ。父親はアメリカ人ジャズドラマーのティーブ・カマヤツ(なのだが、実はこの人には「釜萢正」という別名があったりする)。

青山学院高等部在学中にプロの歌手としてデビューした。
卒業後青山学院大学に入学するも芸能生活のために中退している。
ただ、ソロ歌手としてはなかなか芽が出ず、チョイ役俳優として映画に出演したことがあった。
その一方で、麻布イタリアンレストラン「キャンティ」に通っては音楽仲間達と馬鹿話などに花を咲かせたという。

その「キャンティ」の馬鹿話仲間だった田辺昭知が率いていたバンドザ・スパイダース」にサイドギターボーカルで参加。
「ノー・ノー・ボーイ」、「フリフリ」、「バン・バン・バン」、「あの時君は若かった」などの作曲を手掛けた。ただ、バンド最大のヒット曲は、彼が手掛けた曲ではなく、浜口庫之介が作った「夕陽が泣いている」。
他にも振り付けステージ衣装のアイディアも手掛けるなど、まさにスパイダースの「知恵袋」として活躍した。

1970年2月にソロアルバムをリリース。
この頃、彼らをはじめとした「グループ・サウンズ」と呼ばれたポップスバンドは完全に衰退していた。それを感じてしまった彼は、その年の11月、「のらねぇ」とばかりにバンドを脱退、結果バンドもその年限りで事実上解散に追い込まれてしまった。

解散後、「フォークソングが面白そうだな」と感じる様になり、当時カリスマ的人気を誇っていた吉田拓郎に接近。
デュエットソング「シンシア」をリリースしたり、吉田に作ってもらった「我が良き友よ」は100万枚近いヒットを飛ばした。

だが、「ヒット曲にこだわってたら俺はダメになるかも知れない」と感じると、華やかな世界からは一歩引いたスタンツで、肩の力を抜き、好きな様に音楽活動をしていった。
その一方で、俳優として、「時間ですよ」(TBSのテレビドラマ)や「戦国自衛隊」(1979年東宝系映画館で公開された映画)にも出演している。
自分の子供ほど、いやそれ以下の若いミュージシャンと共演することも厭わない姿勢は、多くのミュージシャンから尊敬された。曰く、「若い連中と話出来なくなっちまったら俺は終わりさ」。

2017年3月1日、78歳であちらの世界に旅立ってしまった

エピソード

  • ワインと言えば赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン、サントリー)位しかなじみのなかった時代にフランスワインを愛飲、さらにはタバコはフランスのタバコのひとつであるゴロワーズをふかしたりと、おフランスかぶれしていた。ゆえについたあだ名は「ムッシュ」。本人も気に入っていた様で、晩年は「ムッシュかまやつ」名義で歌手活動を行っている。また、よく被っていたニット帽もまた、これまたフランスのブランド・エルメスのものだったりする。
  • カー・エンスージアスト(自動車好き)としても有名であり、イギリスのスポーツカー・MGTF(1950年代前半に作られたもの)や、アメリカGMCのSUVのひとつであったタイフーン、フェラーリ246GTなど、同好の士ですら腰を抜かしかねない車を乗り回してきた。最晩年の愛車はフィアット500(2007年から製造・販売が行われている現行モデル)だったが、それもそのチューンナップバージョンのアバルト595、しかも限定版のトリブート・フェラーリだったと言うから恐れ入る。
  • またカー・エンスージアストであったせいか、フランス系ギリシャ人のカーレーサーだったサチオ・フクザワとも懇意だった。彼の死後、「ソー・ロング・サチオ」というレクイエムを自ら作り、歌っている。
  • 遅刻魔として悪名高かった。特にファースト・シングル「フリフリ」のジャケット撮影の際にやらかしてしまった事は結構有名。なおその結果、そのジャケットにはかまやつの姿はない

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