1917年10月14日生、1987年7月16日没、東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)出身、本名:大谷正太郎。
主な芸はそろばんを鳴らす芸、「トニングリッシュ」という英語を交えた話し方、
「フォックスめがね」という吊り上がった眼鏡が特徴。
1987年7月16日、肝臓がんにて死去、享年69。この翌日には石原裕次郎が同じ病でこの世を去っている。
嫌味な芸風と彼の秘密
当時の彼は嫌味な毒舌ボードビリアンとして名を馳せていた。舞台上はおろか舞台裏でさえも嫌味な男として徹底していたくらいである。その為内外から非常に嫌われやすい人物だった。ただし、家庭では良き夫、良き父であったと後に妻は語っている。
その事もあって自身の息子が営利誘拐される事件まで発生した。この事件以降、彼の人気は急落(普段の素行のためか以前より人気は下降線にあったともされる)。この事件の際の記者会見での彼は普段の嫌味キャラではなかった為、おそらくトニー谷ではなく素の大谷正太郎に近かったのではないかともされる。
実は存命時は「谷 正」もしくは自宅の表札で掲げてたらしい「多仁」が本名だとされていたが、それすら偽名であり彼は芸能界に入る前の過去を封印してきた為、先述の本名すら隠してきたとされる。
過去の封印はそれまでの友人や知人果ては自身の親族とまで決別していた程であったという。何故そこまでして過去を封印してきたのかはよくわからないが、嫌味なキャラクター共々戦後の日本への反骨精神や隠された生い立ちのコンプレックスが根底にあったようである。
家庭を持っていたが、プライベートも徹底した秘密主義を貫いており本当の彼を知っていたのは家族だけだったという。ただ、先述の誘拐事件は芸風ゆえ、谷が被害者なのに逆に世間からバッシングされる事もあったという。
芸能人にありがちな派手な浪費やギャンブルには一切手を出さず、ギャラを貯金するのが趣味だったとされる。
立川談志は、トニーのことは「大っ嫌いだった」とし、落ち目になってからの彼は「ワカラナクなった」「呆れた」さまだとしつつも、喜劇人としてのトニーの芸については「伊達ぢゃぁない」「チャランポラン英語を駆使しての社会風刺は見事でありました」と、著書『談志百選』で評価している。
有名なセリフ
「レディースアンド、ジェントルメン!おとっつぁんアンドおっかさん!」
「ざんす!ざんす!さいざんす!あたしゃあなたにアイ・ブラ・ユー!」
「恋をするのも家庭の事情」