前方後円墳
ぜんぽうこうえんふん
古墳時代の日本に特徴的な墳丘墓。
概要
古墳時代の日本に特徴的な、鍵穴のような形をした古墳のこと。前方に四角い墳丘(方墳)を配し、奥に主葬者を葬った丸い墳丘墓(円墳)を配したものであり、しばしば周囲に堀を巡らせる。前方部が極端に小さく、大きな円墳に方形の張り出しができたようなものは帆立貝形古墳と呼ばれるが、区別が困難なものもある。
前方後円墳は3世紀中頃の箸墓古墳を皮切りに、6世紀ごろまでの日本で多数築造された。日本(と朝鮮半島の一部)にしかない形式の墳丘墓であり、前方後円墳のつくられた地域・時期は、古墳時代におけるヤマト王権の勢力圏と同一視される。
「仁徳天皇陵」を始め大規模なものも多く、特に「奈良盆地南部と河内平野(大和および河内)」には大規模な前方後円墳が集中する。墳丘200mを超える大型の前方後円墳は「両毛地域周辺(毛野)」(太田天神山古墳など)および「岡山県南部(吉備)」(造山古墳など)を含めた3地域だけに存在することから、ヤマトの地方政権が列島主要部に影響力を及ぼす過程については「畿内を軸に山陽と北関東の地方勢力を糾合した「ヤマト・吉備・毛野」の連合政権がヤマト王権に発展した」と想像されている。筑紫、日向、出雲、紀伊、武蔵、下総などにも大型古墳が集中立地する地域があるが、前方後円墳についてはヤマト・吉備・毛野より遅れて出現し、規模も小さい。
6世紀後半には畿内で前方後円墳は作られなくなり、関東地方でも7世紀前半を最後に前方後円墳の築造はみられなくなった。