6世紀
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ろくせいき
西暦501年から600年までの100年間。
中世ヨーロッパの初期。東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世がイタリアと北アフリカのゲルマン系諸国家を滅ぼし、地中海世界に古代ローマ帝国の勢威を回復させるが、長い戦いでイタリアは荒廃し、帝国は戦役と黒死病で疲弊した。ユスティニアヌスの死後はサーサーン朝の侵攻や皇帝に対する反乱が打ち続き西方におけるローマの支配は一時的なものに終わった。
日本
考古学上の年代では古墳時代後期、歴史学上の飛鳥時代にあたる。
応神天皇の5世の子孫とされる越国出身のヲホドが継体天皇(天皇号自体は後世の諡号、本項の他の天皇号も同様)として即位し、朝鮮半島に度々出兵を行っていた。九州では527年から528年にかけ、半島出兵の負担への不満から磐井の乱が起こっている。
欽明天皇(継体天皇の子)の代に日本に仏教が伝来した(仏教公伝)。年については538年説と552年説に分かれる。仏教伝来と時を同じくして、前方後円墳はあまり作られなくなる。
この仏教を巡って、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏・中臣氏が対立。最終的に587年に蘇我氏が勝利したことで仏教が広まるきっかけとなった。
その後、592年に蘇我馬子は崇峻天皇(欽明天皇の子)を暗殺し、日本初の女帝推古天皇(欽明天皇の子で、崇峻天皇の異母姉)を即位させた。摂政に就任した聖徳太子と3人で約30年間に及ぶ治世が続くこととなる。
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