アジア
中国
589年に中国を統一した隋は、楊堅の下で政治を行っていたが、604年に後を継いだ楊広(煬帝)は、高句麗遠征や大運河建築を敢行した事で国民の反感を買い、618年に煬帝は暗殺され、隋は統一から僅か30年で滅亡した。
同年、李淵(高祖)が唐を建国すると、続く李世民(太宗)が「貞観の治」と呼ばれる政治で唐の発展を齎す。
しかし、跡を継いだ高宗は大人しい性格の上に病気がちだったため、武皇后に実権を握られ、690年には武皇后が即位し、国名を「周」(武周)と改めた。
また、玄奘がインド(天竺)に渡ったのもこの時代で、彼の旅は「大唐西域記」として編纂され、後の明の時代に誕生した「西遊記」の原作となった。
日本
飛鳥時代にあたる。
592年に推古天皇が日本初の女帝として即位し、聖徳太子・蘇我馬子と共に約30年に渡り三頭政治を行った。
冠位十二階や十七条の憲法、そして法隆寺はこの時代に誕生した。
聖徳太子らの死後、馬子の子蘇我蝦夷、そして孫の蘇我入鹿が権力を振るっていたが、645年、中大兄皇子によってクーデター(「大化の改新」)が起こされ、蘇我本家は滅亡した。
中大兄皇子は天智天皇となり、皇子時代から補佐した中臣鎌足は藤原鎌足へと改姓し、藤原氏の始祖となった。
天智天皇の没後の672年に壬申の乱が発生。勝利したのは弟の天武天皇だった。
690年に妻の持統天皇が即位。奇しくも同じ年に日中両方で女帝が誕生した。
697年に孫の文武天皇に譲位してからも、702年に崩御するまで上皇として実権を保っていた。
ちなみに、日本最古の貨幣とされる富本銭は、687年に誕生したとされる。
朝鮮半島
660年に新羅が唐と手を結んで百済を滅ぼした。
百済の残党は663年に日本と手を組んで白村江の戦いを起こしたが敗れ去った。
隋の時代から攻撃されて国力が落ちていた高句麗は、668年に新羅と唐によって滅ぼされ、新羅は唐の勢力を追い出して朝鮮半島を統一した。
中東