概要
箸墓古墳とは、卑弥呼がいた西暦200年代に建設された日本初の前方後円墳である。倭迹迹日百襲姫命という巫女的な皇女が埋葬されている。
倭迹迹日百襲姫命は第7代孝霊天皇の皇女で、邪馬台国の女王卑弥呼のモデルである可能性が高い人物である。
倭迹迹日百襲姫命は三輪山に住む大物主と夜交わっていたが、その姿が見たくなり、昼間見てもいいが驚かないでと言われた。いざ見てみたら大物主は蛇の姿をしていた為、倭迹迹日百襲姫命は驚いてしまった。怒った大物主は逃げてしまい、そのショックで尻もちを付いた倭迹迹日百襲姫命の陰部に箸が当たり、彼女は死亡した。その逸話から彼女が埋葬された墓は箸墓古墳と名付けられたという。昼は人が作って夜は神が作ったらしい。
箸墓古墳は墳丘長278m高さ30mと全国の古墳で第11位の大きさで、日本武尊の埋葬された能褒野王塚古墳の墳丘長90m高さ8.5mや、神功皇后が埋葬された五社神古墳の墳丘長267m高さ27m、継体天皇が埋葬された太田茶臼山古墳の墳丘長226m高さ19.8mもしくは今城塚古墳の墳丘長約190m高さ12mなど、倭迹迹日百襲姫命より後の時代を生きた世間一般で認知度の高い古代日本の人物が埋葬された古墳よりも大きい為、それだけ彼女が大きな力を持っていたコトが分かる。
箸墓古墳は、出雲の石葺きに吉備の円筒埴輪が廻り、九州式の豪華な副葬品という形式化が成立した合議制政権(初期大和政権)大王のハイブリッド祭祀初見であるコトからも、そこに葬られた倭迹迹日百襲姫命が日本誕生期の重要人物であるコトが分かる。
また箸墓古墳の近くの纏向遺跡は同じく西暦200年代に作られた日本最初の本格的な都市遺跡である。