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横浜フリューゲルスの編集履歴

2022-10-19 14:05:57 バージョン

横浜フリューゲルス

よこはまふりゅーげるす

過去にJリーグにへ所属していた日本のプロサッカークラブ。ホームタウンは神奈川県横浜市。

解説

創設年 1964年
加盟年1991年
消滅年 1998年
ホームスタジアム三ツ沢球技場
クラブカラー青と白
マスコットとび丸

クラブ名は、ドイツ語で「翼」を意味する「flügel」から。愛称は「フリエ」であり、現在は横浜FCの愛称・クラブ法人名に引き継がれている。


歴史

創設期

1964年に横浜市中区スポーツ少年団として設立、1979年に全日本空輸(全日空)を親会社として全日空横浜サッカークラブと改称して翌年より日本サッカーリーグ1部に参加する。しかし1985年に企業クラブ化へ異議を唱える一部の選手がボイコット(後にY.S.C.C.横浜として分離独立)を起こす内紛が起き成績は低迷した。1988年の全日空サッカークラブへの改名を経て、1991年にJリーグに加盟。同時に横浜ASフリューゲルスにチーム名を改名した。


突然の消滅

1994年、チームは横浜フリューゲルスに改称するが、毎回2ndシーズンになると低迷していた。この頃、佐藤工業・全日空は経営が悪化し赤字の補填が困難になりつつあった。

1998年10月29日、マスコミにすっぱ抜かれる形で横浜マリノスへの吸収合併が突然発覚する。

当事者である両チームだけでなく多くのチームサポーターも合併反対の声を上げ、チームメンバーは合併は誤りである事を証明しようと試合に勝ち続けたが、結局合併の流れを止める事が出来ず12月2日に調印が行われ、このシーズンを以てチームが事実上消滅することになった。

最後の大会となった天皇杯にて、最後の勇姿を見せようとチームは一丸となり勝ち進み1999年1月1日の決勝戦、対清水エスパルス戦で勝利、天皇杯優勝を最後の栄光として消滅した。試合後、NHKアナ・山本浩が発した「私たちは決して忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空はまだ横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」は、日本サッカー界の名実況として語り継がれている。


その後

合併チームは翌シーズン以降横浜F・マリノスとして活動。

存続運動に関わった人々は横浜FCを結成。



所属していた選手

※記事のある人物及び日本代表経験者を記載。

反町康治 前園真聖 前田治 大嶽直人 森山佳郎


以下、解散時に在籍した選手

楢崎正剛 遠藤保仁 三浦淳宏 山口素弘

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