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遠藤保仁

えんどうやすひと

遠藤保仁とは、現サッカー日本代表MF。1980年1月28日、鹿児島県桜島町(現鹿児島市)出身。愛称は保仁(やすひと)を鹿児島弁で発音した「ヤット」。
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来歴

プロ入り前

鹿児島県桜島町にて3人兄弟の末っ子として生誕。兄に同じくサッカー選手となった遠藤彰弘がいる。
6つ上の長兄と4つ上の次兄の影響を受け、保仁も物心ついた頃から自宅の庭先でボールを蹴り、高校選手権やワールドカップの映像を見て気に入ったプレーを真似していたと語っている。当時から保仁(やすひと)を鹿児島弁で発音した「ヤット」と呼ばれていた。
名門・鹿児島実業高等学校時代には高校選手権優勝(1年)、高円宮杯優勝(2年)と立て続けにタイトルを経験、U-16日本代表にも選出されている。

横浜フリューゲルス・京都パープルサンガ時代

1998年に横浜フリューゲルスに入団。同年の3月21日に行われた開幕戦の対横浜マリノスとの横浜ダービーでいきなりプロデビュー、8月1日の鹿島アントラーズ戦でプロ初得点など、プロ1年目で16試合に出場し順調な滑り出しと思われたが、同年に同クラブが消滅した為、翌年には京都パープルサンガへ移籍。
同時期に京都に所属していた選手に「キングカズ」三浦知良と、後にイングランドの超名門マンチェスターUtd.へと移籍する朴智星(パク・チソン)が居た。
ここでもレギュラーを獲得するも、2000年に京都がJ2へ降格した事をうけ、翌年ガンバ大阪へと完全移籍。

ガンバ大阪時代

ガンバでは2002年に監督に就任した西野朗の掲げた攻撃的なスタイルの中心人物として、ガンバに移籍して3年目の2003年に初のJ1ベストイレブンに選出されるほどの活躍を見せ、今なおガンバのサッカーを支え続けている。

A代表歴

A代表(フル代表)には2002年の日韓共催ワールドカップ後に招集される。
同年の11月20日に行われたアルゼンチン戦でA代表デビューを果たし、2003年8月20日のナイジェリア戦で初得点をマーク。現在まで9得点を記録している。
2010年に行われたFIFAワールドカップ南アフリカ大会、グループステージ第3戦の対デンマーク戦では勝利を引き寄せる2点目を、得意のフリーキックで決めている。この時に1点目となった本田のフリーキックとあわせ、1試合に2本のフリーキック成功は実に44年ぶりの快挙であった。
2011年1月に開催されたアジアカップでは、招集された全選手中最年長かつ最多招集数として若返りを図ったチームを引っ張り支え、日本の攻守を徹底的にコントロール。決勝のオーストラリア戦で決勝点となった李忠成のダイレクトボレーも、遠藤のキープとパスが起点となった。
この大会でMVPに選出された本田圭佑も、「個人的にはヤットさん(遠藤の愛称)だと思う。」と語っており、彼を真のMVPとする声は非常に多い。

プレースタイル

日本・・・、いやアジア最高のプレーメイカーと評する声は後を絶たない。
長短及び浮き球・グラウンダーを問わない変幻自在のパスは、ガンバでもサッカー日本代表でも欠かす事の出来ないパーツとして重用されている。(同時に遠藤を欠いた場合の戦術に不安があると言う声も多い)
またペナルティキックは遠藤の代名詞とも言え、ボールを一切見ず相手ゴールキーパーだけを見据え、ピッチを転がるようにゴールマウスへとボールを蹴り込むその独得のスタイルは、マスコミから「コロコロPK」と呼ばれ、2008年のFIFAクラブワールドカップの対マンチェスターUtd戦においては、名手エドウィン・ファン・デル・サールをも手玉に取っている。

メイン画像について

さて、メイン画像についてだが・・・
なぜガチャピンとセットになっているのか?
遠藤の顔を見ていただければ良くおわかりいただけるであろうが、顔がとにかくソックリなのである。
2005年には共演も果たし、ガチャピンから「似てるって言われない?」と聞かれ、「昔は似ていると言われていた」と返しており、公式ネタである。
実際スタジアムにガチャピンのぬいぐるみやイラストを掲げて遠藤を応援するサポーターの姿は多く、Pixivでもそういうイラストは数点確認できる。(関連イラスト参照)
また、コラボ商品も発売している。

関連イラスト

左右の手で描いてみよう!
遠藤ゴォォォーーール!!!


日本代表おめでとう!
祝W杯出場!!

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