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最も頼りになる者が、最も恐ろしいの編集履歴

2022-10-23 22:26:36 バージョン

最も頼りになる者が、最も恐ろしい

もっともたよりになるものがもっともおそろしい

「最も頼りになる者が、最も恐ろしい」とは、『鎌倉殿の13人』第15話、源頼朝の名セリフである。

概要

「最も頼りになる者が、最も恐ろしい」とは、『鎌倉殿の13人』第15話「足固めの儀式」における源頼朝の非情な名セリフである。


第15話「足固めの儀式」

寿永2年(1184年)12月、坂東武者を率いて平家打倒に乗り出した源頼朝は、源氏内の勢力争いに巻きこまれることに不満をもつ御家人の不穏な空気を察知、自身に対する謀反の計画が起こっていることを知り、謀臣・大江広元と対策を練る。

一計を案じた頼朝と広元は側近・北条義時を通じて上総介広常に謀反の首謀者となることを頼んで、何とかことを穏便にすませて不問とすることに成功、頼朝は広常を賞し彼と酒を酌み交わす。


・・・が、それらは全て広常一人に全ての科を負わせ、謀反人として処断せんとする頼朝と広元の策謀の一端に過ぎなかった。


策謀を知らされた義時は、涙ながらに主君を止めようとするが、頼朝は

 「最も頼りになる者が、最も恐ろしい」

と冷たく言い放ち、上総介広常を誅殺するのだった。


第40話「罠と罠」

上総介広常誅殺から29年たった建暦3年(1213年)5月、

坂東武者、最後の生き残りとなった侍所別当・和田義盛の武力が脅威となった執権北条義時と公文所執事・大江広元後鳥羽上皇が和田一族にしかけて巻きこんだ泉親衡の乱を利用し、一族に反乱を起こさせようと計画する。このとき、義時は広元に

 「最も頼りになる者が、最も恐ろしい」

と、評し、和田一族を滅亡させることを決意する。

義盛と実朝のとりなしにより、義盛の息子2人は許されるが、甥・胤長は釈放を嘆願に来た和田一族98人の前で縄をかけられた姿で引き回されたげく陸奥国に配流され、

胤長の屋敷は、和田一族ではない御家人に下げ渡された。

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