説明
王莽(紀元前45年~紀元23年)は、前漢の政治家および、新の皇帝である。
伯母が元帝の皇后になったのがきっかけで、彼の一族は外戚として権勢を誇ることになる。
しかし王莽は父と兄が早世したため、列侯に叙されなかったものの、その間に儒教の教育を受けて教養を身につけている。
新都侯(現在の河南省)になったのを皮切りに、大司馬(いわゆる国防長官)になっている。
一時期政治の表舞台から遠ざけられていたが、元帝の3代後の平帝が皇帝になると自分の娘を皇后にして、再び外戚として権勢をふるうようになる。
ついには禅譲(という名の簒奪)によって、自ら”新”王朝の皇帝となる。
しかし彼の治世は周王朝を理想としたため、現状にそぐわないものばかりであった。
例えばバラバラに貨幣を発行したり、塩・酒・鉄の専売を強化したり、官名や地名を頻繁に変更したりという感じである。
それどころかこれらの政策を性急に実行しようとしたた奸臣め、各地で混乱が生じてしまった。
ついには赤眉の乱が勃発し、ついには更始帝こと劉玄によって殺されてしまう。
その更始帝の統治も長続きせず、動乱を鎮めた劉秀によって漢王朝は再興することとなる。
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