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浅野拓磨の編集履歴

2023-01-04 22:51:56 バージョン

浅野拓磨

あさのたくま

三重県出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。サンフレッチェ広島、ドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルト、ハノーファー96を経て、セルビアリーグのパルチザン・ベオグラード所属。

燃燃30mを3.67秒で駆け抜ける俊足型のストライカー(トップスピードならかのウサイン・ボルトを超えるとされる)で、『ジャガー』の愛称で知られ、ゴールを決めると両手の五本指を前へ突き立てるポーズを取る。


略歴

1994年11月10日生まれ。

7人兄弟の三男(男の子6人に末っ子が女)で四男(2歳下)の弟・浅野雄也もJリーガーである。

(2019年に水戸ホーリーホックでデビュー、同年8月からサンフレッチェ広島に完全移籍、同時に広島からの期限付き移籍でそのままプレー、2020年から広島でプレー)


三重県立四日市中央工業高等学校時代は高校選手権では3年連続(第89回・第90回・第91回)で出場、第90回では史上4人目となる初戦から決勝まで全試合得点を挙げ大会得点王に。


複数のクラブからサンフレッチェ広島を選び入団。

2015年4月18日のFC東京戦でリーグ戦初ゴールを挙げる。また、リーグ戦ではスーパーサブに定着して途中出場で8得点を上げた。

12月5日、チャンピオンシップの決勝ではガンバ大阪と対戦し途中出場で得点を挙げ、この年はJリーグアウォーズ2015においてベストヤングプレイヤー賞を受賞した。


2016年7月、プレミアリーグ・アーセナルFCへの完全移籍が発表されたが労働許可が下りず、8月にブンデスリーガ2部(当時)のシュトゥットガルトへ1年間の期限付き移籍。

2017年6月22日、シュトゥットガルトに残留することが発表され、8月19日、ヘルタ・ベルリン戦(開幕戦)で1部デビューを飾った。

2018年5月23日、ハノーファー96への1年間のレンタル移籍が発表され、開幕戦のヴェルダー・ブレーメン以後9試合で先発、4試合で途中出場したものの、契約は『出場試合数が基準に達した場合の買い取り』義務があったため、あと2試合で買い取りという段階で会長により浅野の起用禁止を指示、結果として編成責任者解任と2部降格決定になった。

2019年8月1日、セルビアリーグのパルチザン・ベオグラードと3年契約を締結。




サッカー日本代表として

2015年7月23日に浅野は東アジアカップ2015に出場する日本代表メンバーに初選出され、8月2日の北朝鮮戦で代表初出場を果たした。

2016年、AFC U-23選手権2016にU-23日本代表として参加、決勝のU-23韓国戦では後半から投入され、2得点を挙げて逆転勝利で優勝。

同年6月3日に行われたキリンカップサッカー2016・ブルガリア戦で後半14分に途中出場し、後半42分に自身で得たPKを決め、A代表初ゴール。

同年7月1日、リオデジャネイロオリンピックの18人のメンバーに選出された。

2017年8月31日、オーストラリア戦で先発出場し、長友佑都からのクロスに合わせ先制点を挙げ、2-0での勝利と共に6大会連続W杯出場に貢献した。

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