概要
ルネサンスの保護者として有名。メディチ銀行の最大の顧客はローマ支店が窓口となったローマ教皇庁で、教皇庁からの収益は1435年までの銀行の年収益の50%を常に超え、1397~1420までの純利益は7万9千フィオリーノ(1フィオリーノ≒12万。つまり9億4800万)にのぼる。パトロンとしてブルネレスキ等を保護。
メディチ家の人々
⋯メディチ家最大の人。
コジモの孫で、痛風持ちピエロの子。父のピエロが死に、20歳で推されてフィレンツェ国家長に。民主政なので世襲はできないが、この時期までにメディチ派は市政の要職を独占していたのでその後見で権力を握ることができた。しかし、反メディチ派の襲撃を受け、危機一髪で難を逃れ(この時弟ジュリアーノは殺される,1478パッツィ事件)、またフィレンツェの強大化を恐れ反メディチ派と結んでいたローマ教皇とナポリ王国もすぐれた外交手腕で屈服させ、かえって権力を強めることに成功した。
関連イラスト
メディチ家に関するイラストを紹介してください。
参考資料
表記揺れ
関連タグ
- アルテ⋯フィレンツェの時代を描いた作品。