生没年 ?~1604(慶長9)年
正二位権大納言を務めた、羽林家・四辻公遠の娘。異母兄弟には江戸時代初期の一大スキャンダルである「猪熊事件」を起こした猪熊教利、後水尾天皇の典侍を務めた四辻与津子などがいる。
生涯に謎が多く、いつ頃景勝のもとへ嫁いだのかすら不明(四辻家が景勝の正室・菊姫の実家である甲斐武田家と縁が深いからとの説がある)。
1604年に景勝の長男となる定勝を出産するが、産後の経過が悪かったため3か月後に亡くなった。
定勝の誕生直前に菊姫が亡くなったため、桂岩院が産後に亡くなったことは菊姫の呪いではないかとの説がある。
また家中の敬愛を集めていた菊姫を差し置いて、側室を入れたことについて家中には不満があったとの説もあるが、関ヶ原の戦いの後会津から米沢へ減封され、さらに未だ実子がいなかった景勝や御家存続に尽力している家臣団にとっては、後継ぎを儲けることは必須であったため俗説に過ぎないとされている。