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エイシンワシントンの編集履歴

2023-03-16 20:17:16 バージョン

エイシンワシントン

えいしんわしんとん

JRAの元競走馬である(1991-2014)。

概要

1991年5月5日生まれ、父オジジアンシャマリタン。通算25戦8勝。


1993年デビューレコードタイム勝利、朝日杯3歳S6着。


1994年萌黄賞で10馬身差の圧勝、アートントンC2着、故障で休養、セントウルSで重賞初制覇、スワンS3着、スプリンターズS4着。


1995年各陽Sと淀短距離Sを制しオープンレースを連勝、マイルCS10着、スプリンターズS9着。


1996年陽春Sでオープンレース3勝、シルクロードS12着、マイルCS3着、CBC賞レコードタイム勝利で重賞2勝、スプリンターズS1センチ差の大接戦判定で2着、後に引退。


引退後は種牡馬として北海道日高郡新ひだか町の静内レックススタッドにて供用され、2009年に引退してからは鹿児島県湧水町のホーストラストにて功労馬として余生を過ごしていたが2014年7月7日朝に右後肢に力が入らない状態で発見され、翌8日に右後肢脛骨骨折のために死去。23歳没。


フラワーパークとの夢の配合は実現しなかったが、同じエイシンのエイシンバーリンエイシンサニーとの配合は実現した。


フラワーパークとは2勝2敗、ビコーペガサスとは2勝4敗、ヒシアケボノとは2勝4敗。


熊沢騎手のGI馬(ダイユウサクテイエムプリキュア)以外での代表的騎乗馬。

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