信憑性には疑いがあるが、「晋書」にはこのような逸話が書かれている。
司馬懿が病に倒れたとき、彼女が見舞いに来た。
司馬懿は「普段顔を出さないのに、こんな時にだけ顔を出してなんのようだ?」
この皮肉に対して、彼女は怒りと恥ずかしさのあまり断食をして自殺を図った。──ただし、息子二人と共に、である。
これに慌てたのが司馬懿。急いで謝り事なきを得たという。
謝った後に司馬懿は「老婆は死んでも構わない。息子の身を案じた故に謝った。」と吐き捨てた。
これも信憑性には疑いがあるが司馬懿の若い頃に都合の悪いことを知られた下女を手討ちにして口封じをした、というエピソードもある。
一方で非常に博学であったと言われ、若い時には才女として名を馳せていたという。
247年、59歳で死去。西晋王朝成立後に「穆皇后」と追号された。
ちなみに「穆」とは慎み深いとかそういった意味であるらしい。