生没 683年~707(慶雲4)年
在位 697年~707(慶雲4)年
諱 珂瑠または軽皇子
生涯
父は第40代・天武天皇の第2皇子・草壁皇子。母は第39代・天智天皇の皇女・阿陪皇女。
父は誕生時の天皇であった第41代・持統天皇(珂瑠皇子の祖母)の皇太子であったが、珂瑠皇子が6歳の時に亡くなり、後継の皇太子となった伯父の高市皇子も696年に亡くなった為、翌697年に皇太子、さらに同年8月に持統天皇の譲位によって即位した。但し、実権は持統上皇が握ったままであった(日本初の院政とされる)。
大宝2(702)年に持統上皇が崩御したことで親政が始まるが、5年後の707年に崩御。
息子の首皇子がまだ7歳だったため、文武天皇の母である阿陪皇女が元明天皇として即位した。
皇統
- 妃:藤原宮子(藤原不比等の長女)
首皇子(おびとのおうじ、第45代・聖武天皇)
- 嬪:石川刀子娘
- 嬪:紀竈門娘