概要
907年に唐が滅亡し、その後の五代十国の戦乱の時代の後、趙氏による王朝「宋」が建国してから、女真族が建国した金朝により一旦壊滅するまでの期間を指す。首都は現河南省の開封であった。
北宋の社会・経済・文化については「宋」に譲り、ここでは宋の中原失陥までの略史を記述する。文治主義を取り、貴族層の消滅によって、皇帝独裁が確立し、平民から成長した士大夫層が社会の中枢を担った。慢性的な財政赤字が続いたこともあり、政争による混乱も続いた。
唐末から五代十国期に頻発した将軍達の軍閥化を警戒するあまり、兵士の社会的地位は低くされ質は著しく劣化したため、軍事的には弱体で、北方の異民族の脅威に常に晒されていた。
略史
960年に趙匡胤が建国。978年にその弟、趙匡義が中国統一を成し遂げた。3代真宗の時代に遼の侵攻を受け、北宋が銀や絹などを支払う条件で和平を結ぶ(澶淵の盟)。
第6代皇帝神宗の代に王安石を登用して財政その他の政治改革を行って財政再建をめざしたが、改革を支持する新法党と改革に反対する旧法党の対立が生じ政治は混乱し、国政は混乱した。
1100年に即位した第8代将軍徽宗の悪政により国運は衰微。1127年に金に開封を占領され、徽宗と、その息子で現皇帝の欽宗親子が金に連行されてしまったことで滅亡する(靖康の変)。欽宗の弟の高宗が南方に逃れて立てたのが南宋である。
関連タグ
宋…正式な国名だが、由来となった地域に由来するほかの「宋」も存在した。
水滸伝…時代設定は北宋の末期。
南宋…壊滅後に再建された後の期間を指す。