上宮王家
じょうぐうおうけ
聖徳太子以降の太子の血族(家系)が大王(後天皇)の皇位継承最上位を独占したまま、政治的指導の地位「大兄」職も独占した時代の太子の家系の通称
上宮王家
聖徳太子以降の血族が朝廷の宰相役の『大臣(おおおみ)』より上位の官職『大兄(おおえ』を太子の血族(家系)が敬称、以降の大王(読:おおきみ、後の天皇)の皇位継承最上位を独占し、政治的指導の職も独占した時の太子の家族の通称。
上宮王家の王は『大王』の方の王である。
聖俗の絶対的権力(皇帝など)を全部とったような日本では稀な家系に近いのかも
なお上宮王家は王家の子息山背大兄王を蘇我入鹿など蘇我氏が追い詰めてしまい、結局山背大兄王とその一族が法隆寺に立てこもり自害することになり、王家は壊滅する
山背大兄王の訃報を聞いた蘇我入鹿の父の大臣蘇我蝦夷は、入鹿一味のの所業に激怒した。
その後、蘇我蝦夷は自分の家に火をつけ、自ら刀で自害をする。
生き残った蘇我入鹿も大臣となるも、その後躍進してきた中大兄皇子と中臣鎌足(藤原鎌足)に忙殺される。