概要
奏でると一時的ではあるが凄まじい雨と雷が落ちる悪天候へ天気が変化する。
また、他のゼルダの伝説シリーズにも過去作のオマージュとして登場することがある。
時のオカリナ
嵐を呼んでカカリコ村の風車小屋を暴走させるメロディ。
これにより村の井戸の水が引き、真実の目が眠る井戸の底への道が開かれることになる。
ムジュラの仮面
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わが歌が いざなう 数千の雨粒は
私のナミダ
大地に とどろく カミナリは
私の怒りなり
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作曲家兄弟のフラットによって作られたメロディ。
呪いを解く不思議な力があり、青バブルによる剣を封じる呪いを解くことができる。
嵐の歌によって降り注ぐ雨は天使の涙とされ、
同時に袂を分かった兄シャープへ向けた弟フラットの悲しみの涙でもある。
余談
時のオカリナで有名な謎の一つに『嵐の歌を誰が作曲したのか?』というものがある。
このメロディは大人時代にて、風車小屋にいるおじさんから「7年前にイタズラした小僧が吹いていた曲」として学ぶ。
そして子供時代に戻り、同じく風車小屋で嵐の歌を奏でることで攻略が進む。
この際に起きた嵐をおじさんが覚えており、7年後に「イタズラした小僧が吹いていた曲」として大人リンクに教えるのである。
問題はこの因果が完全に循環しており、作曲者がいないという不気味な現象が起きている事。
「おじさんが覚えていた嵐の歌を大人リンクが学び、子供時代に戻る」
↓
「子供リンクが風車小屋で嵐の歌を吹き、この出来事をおじさんが覚える」
↓
「おじさんが覚えていた嵐の歌を大人リンクが学び……」
このように嵐の歌は「風車小屋のおじさんを間に挟んで大人リンクと子供リンクが互いにメロディを教え合う」という因果を延々と繰り返すタイムパラドックスに陥っており、作曲者が存在しない。
これは「卵が先か鶏が先か」という因果性ジレンマに関する非常に有名な哲学問題と全く同じ構図にもなっている。