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藤原顕隆の編集履歴

2023-08-28 21:23:47 バージョン

藤原顕隆

ふじわらのあきたか

藤原顕隆とは平安時代後期の公卿。

概要

藤原為房の子、官位は正二位、権中納言葉室家の祖。


プロフィール

時代平安時代
生誕延久4年(1072年)
死没大治4年1月15日(1129年2月5日
官位正三位、権中納言
主君堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇
氏族葉室家
父母父:藤原為房、母:源頼国の娘
藤原悦子(藤原季綱の娘)、源顕房の娘
顕頼、顕能、顕長、立子、栄子、顕源、隆恵、隆勝、藤原家政室、藤原実能室、藤原清隆室、藤原憲方室、娘、藤原実定

経歴

延久4年(1072年)に誕生、寛治2年(1088年)に従五位下、後に右衛門佐左衛門佐弁官・蔵人頭を歴任した。永久6年(1118年)に中宮亮、元永3年(1120年)に従三位、保安3年(1123年)に参議、同年に権中納言に就任した。大治3年(1128年)に正三位、翌年の大治4年(1129年)に死去。


人物

白河院の側近として活躍し夜の関白という別名がある。


外部リンク

藤原顕隆 - Wikipedia


関連タグ

公家 平安時代 勧修寺流 葉室家

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