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藤原顕頼の編集履歴

2023-09-14 19:04:45 バージョン

藤原顕頼

ふじわらのあきより

藤原顕頼とは平安時代後期の公卿。

概要

藤原顕隆の子、母は藤原悦子(藤原季綱の娘)、官位は正二位、権中納言


プロフィール

時代平安時代後期
生誕嘉保元年(1094年)
死没久安4年1月5日(1148年1月27日
官位正三位、権中納言
主君堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇
氏族葉室家
父母 父:藤原顕隆、母:藤原悦子(藤原季綱の娘)
藤原忠子(藤原俊忠の娘)、源雅職の娘、家女房
光頼惟方成頼祐子、頼子、説頼、円仙、顕恵、雅宝、藤原季成室、公子、藤原家明室、藤原信頼室、藤原朝隆室、藤原顕長室、藤原俊憲室、藤原重方

経歴

嘉保元年(1094年)に誕生、蔵人から従五位下となり出雲国と三河国の国司を歴任後に左衛門佐となる。保安3年(1122年)に右少弁、大治5年(1130年)に右中弁、蔵人頭になる。翌年の天承元年(1131年)に参議に就任、長承3年(1134年)に従三位、権中納言となり永治元年(1141年)に民部卿、康治2年(1143年)に正二位となる。


外部リンク

藤原顕頼 - Wikipedia


関連タグ

公家 平安時代 勧修寺流 葉室家

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