概要
藤原忠隆の三男。
官は武蔵守、右衛門督。
「悪右衛門督」というあだ名がある。
後白河上皇の寵愛を受け出世したが信西と対立。信西に反感を持つ源義朝や藤原成親らと組んで平治の乱を起こし信西殺害には成功したが、平清盛に討伐され敗北。逃亡中に捕えられ六条河原で斬首された。
軍記物語での信頼
平治物語では以下のように情けない描写のオンパレードであり臆病者・腰抜けの代名詞扱いされた。
- 信西には「文にも武にも非ず」と酷評される。
- 平重盛で待賢門で戦った際、醜態を晒し激怒した義朝に「日ノ本一の不覚人」と言われる。
- 逃走中、義朝からムチで打たれ馬から叩き落とされ完全に見捨てられる。
- その後、僧兵たちに鎧などを身ぐるみ剥がれる。
- 処刑の際に、泣きわめいて最後まで手こずらせた。
一方、平家物語の序文で「承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども」という文章があり、平将門・藤原純友・源義親と同類扱いされており反逆者・悪人の代名詞としても扱われていたことが窺える。
近年の研究による信頼の一面
しかし、近年ではやり手の若手公家という一面も浮かび上がっており、後白河院の寵愛だけでなく以下のように源氏・平氏・奥州藤原氏・近衛家と繋がりを持ち、力を付けていったことが知られるようになっていった。
- 源氏:武蔵守だった鳥羽院政時代、義朝の長男・源義平による源義賢(木曾義仲の父)襲撃(大蔵合戦)を黙認し、義朝の三男・鬼武者(源頼朝)の烏帽子親を務めた。
- 平氏:長兄・藤原隆教と子の隆親は平忠盛・清盛に目を掛けられていたが、信頼自身も長男・信親と清盛の娘との縁談を進めていた。
- 奥州藤原氏:次兄・藤原基成が陸奥守を務めた関係で自身も藤原基衡・秀衡父子と繋がり名馬を贈られたりしている。ちなみに基成の娘は秀衡の正室となっている。
- 近衛家:当時関白だった近衛基実に妹を正室として嫁がせている。
また実務官僚としては無能どころか有能だったのではという説もある。
血縁関係
フィクションにおける藤原信頼
NHK大河ドラマ
ちなみに先祖の藤原道隆や藤原隆家は2024年の「光る君へ」に登場している。