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藤原基衡

ふじわらのもとひら

奥州藤原氏の二代目
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概要

奥州藤原氏初代の藤原清衡の子で、清衡の死後、父の後を継いで押領使となり、奥州を実質的に支配した。
だが清衡から基衡への権力の移行はスムーズにはいかず、異母兄の惟常とのあいだで1年もの内乱に陥った。

毛越寺の建立

基衡の治世中に、平泉は都市として大きく発展していくこととなるが、最も大きな事業は毛越寺の建立であろう。
金堂円隆寺と広大な浄土庭園を中心に伽藍が次々に建立されていき、その様子は「吾妻鏡」のなかで「霊場の荘厳はわが朝無双」と表されている。

本尊造立の逸話

当時の毛越寺の本尊は、基衡の依頼により都の仏師雲慶により作られたが、その謝礼として百両ものをはじめとしたや奥州産の、蝦夷ヶ島(北海道)産のアザラシの毛皮など大量の品物を送った。ある時、別禄として生美絹(すずしのきぬ)を船三隻に積んで送ったところ、雲慶は大変喜び、「練絹なら尚よかった」と冗談まじりに言ったところ、その話を聞いた基衡は大変後悔し、新たに練絹を船三隻に積んで送ったという。
この話からは当時の奥州藤原氏がどれだけの財力があったかをうかがい知れる。

死去

基衡は保元二年(1157)に死去したと伝えられ、その遺体は父清衡が眠る中尊寺金色堂内に新たに仏壇を増築し、そこに現在も安置されている。遺体は金箔が施され、で内貼りされた木棺の中に念珠などの副葬品と共に納められ、両足の先以外はほぼ完全にミイラ化していた。

関連タグ

平安時代 平泉 毛越寺 藤原氏

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