概要
平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂をはじめ、多くの文化財を擁する。
2011年6月、金色堂を含む境内が「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一部として世界文化遺産登録された。
寺伝では平安時代前期にこの地を訪れた慈覚大師によって開山されたと伝えられる。
その後、12世紀初めに平泉に拠点を移した藤原清衡によって大規模な伽藍の造営が行われ、釈迦如来、多宝如来並座の多宝塔や丈六の阿弥陀如来の像を10体安置する二階大堂、100体もの金色の釈迦如来の像を安置する釈迦堂など多くの堂塔伽藍が建立された。金色堂もその一つである。
しかし、これらの伽藍は奥州藤原氏滅亡後の建武四(1337)年に野火によってそのほとんどが焼失。僅かに金色堂と経蔵のみが残された。
江戸時代にはこの地を治めた仙台藩によって庇護され、金色堂の修理なども行われた。さらに金色堂安置の諸仏像が江戸城で開帳されたりもしている。
戦後には金色堂の全面的な解体修理が行われ、堂を保護していた木造の覆堂も鉄筋コンクリート製のものに新築され、現在見られる金色堂の姿になった。