概要
17~19世紀の欧州の野戦で主流となった歩兵の運用形態のひとつである。
槍にかわってマスケット銃と銃剣を携えた歩兵部隊が複数(おおよそ3列)の横隊になって隊列を組み、号令や太鼓などに合わせて行進しながら敵軍に向けて前進。
マスケット銃の射程内に到達すると号令に従って銃を構えて発砲し、次弾装填を繰り返す。そして、敵戦列が崩れて敗走したら着装した銃剣を構えて突撃する戦術でもある。
実際の戦闘では、行進曲を奏でる軍楽隊や野砲を放つ砲兵隊、綻び出した敵戦列に突撃して突き破る騎兵隊も加わっている。
古代からファランクスなど重装歩兵による密集陣形は存在するが、マスケット銃を携える軽装歩兵が戦いの主流となった近世では、盾など身を隠す物が無いまま身を晒した状態で敵戦列に近づき、味方が撃たれても野砲の砲弾が命中しても前進し続け、そして根比べの様にどちらかが潰走するまで撃ち合うというのは、現代では異様な戦いと見える。
だが、当時の戦列歩兵はほとんどが徴兵された民衆か犯罪者等のならず者で構成されていたため、歩兵の損耗はそこまで重要視されておらず、マスケット銃も50mほど近づかなければ中々命中しないほど命中精度も低く、装填にも時間を要するため、すぐに歩兵が大勢死ぬということでもなかった。
また、戦列歩兵に求められたのは、身を晒した状態での正面攻撃の恐怖に打ち克って陣形を維持する事と、指揮官の命令に絶対服従する事であり、命令違反や逃亡を図った者は戦列の後ろで指揮を執る指揮官に処罰されていた。
だが、19世紀に入ると、銃も野砲も発達して戦列歩兵の戦術性が殆どなくなったために急速に廃れてしまった。
なお、無煙火薬が発明される以前の「集団で行動し銃を主要な武器とする」兵種の為、制服は派手なものが多い。(煙の中でも敵味方の識別を可能とする為)
20世紀の復権
火器の発達により廃れた戦列歩兵戦術であるが、20世紀に入り米軍により掘り返されることになる。
戦前、欧州の戦火とは極力距離を置くように立ち回っていた米国であるが、1940年のナチス・ドイツのフランス侵攻により腹をくくり、「男子の5人に1人」と推定されるほどに大規模な徴兵を開始する。
しかしながらあまりにも急速な規模の拡大により十分な訓練を施すことが出来ず、特に異国の地で戦う上での士気の維持は課題となっていた。
そこで注目されたのが戦列歩兵にそっくりの「マーチング・ファイア」戦法である。
彼らは一列にずらりと並び、M1ガーランドやBARを腰の高さに構え、リズミカルに発砲しながら一歩ずつ前進するという手法を取った。つまり銃声を太鼓のようにして隊を鼓舞したわけである。
いかに自動火器といえど照準も付けずにばらまいて効果が期待できるものではなく、結局他の班による火力支援を必要としてしまう本末転倒な戦法であったが、士気が足りない兵士らへの心理的効果は非常に大きく、「一部の部隊ではほぼ唯一の攻撃手段だった」と言われるほどに流行した模様。
関連動画
映画『パトリオット』の戦列歩兵の戦闘シーン