解説
前漢の武将である。祖父は李広。
武帝のときに匈奴征伐に向かうも、囚われてしまう。
囚われた後は匈奴に厚遇され、一族を殺された絶望もあって従うようになり、右校王として20年ほど留まった。
しかし漢との戦いには加わらなかった。
後に同様に捕らわれていた蘇武と出会うが、帰還した蘇武とは異なり、辱めをいとんで戻らず、匈奴の地で亡くなった。
彼が囚われた際に司馬遷が弁護したために、武帝の怒りに触れて死刑を命じられるも、史記を完成させるべく恥を忍んで宮刑を選んだのは有名な話である。
彼を題材にした中島敦の小説のタイトルでもある。