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腐ったミカンの方程式の編集履歴

2024-03-05 10:23:05 バージョン

腐ったミカンの方程式

くさったみかんのほうていしき

学園ドラマの名作「3年B組金八先生」で取り上げられ、世間に注目を集めたセリフ。

われわれは、ミカンや機械を作っているんじゃないんです。人間を作っているんです!


概要

3年B組金八先生 第二シリーズ』第5回・第6回のサブタイトル。1980年10月31日11月7日放送回。


また同作で放送されたセリフのひとつであり、第二シリーズを通して描かれるキーテーマのひとつ。このわずかな一言が当時の現代社会や教育において社会問題を引き起こした。本シリーズにおける重要用語のひとつである。


意味は「みかん箱の中にカビの生えたみかんがひとつでもあれば他のみかんにもカビが繁殖し結果的に全部のみかんがダメになってしまう」というもの。→腐ったミカン

物語上においては、これを教育的に言い換えれば「クラスの中に一人でもバカがいれば生徒全員がバカになってしまう」という考え方で、用いられている。


それを防ぐ為には被害が拡大する前に捨ててしまう。つまり、バカな生徒を他校に放り投げてしまうという教育者としてあまりにも無責任極まりない考え方を表している。


ストーリー上ではキーパーソンでもあるクラスメイトの加藤優がこの腐ったみかんとして例えられており、加藤自身が荒くれの不良で手がつけられなくなったという理由だけで母校の荒谷二中を追われ、桜中学に転校させたというものだった。

その考え方に対して主人公の坂本金八は猛反発しており、生徒はみかんでは無く同じ人間の一人ではないかと論していたが、加藤の担任教師はこれが教育の限界だと表しており、自分自身もどうすれば良いのか分からなくなる程、当時の教育は衰退していたという(ここが第5回・第6回)。


それでも金八は加藤に対して自分はみかんでは無く生徒の一人であり、教育を正しく受ける義務があると教え続け、クラスメイトからも偏見な眼差しを受ける事なく一クラスメイトとして接した事から最終的に加藤を真人間に戻す事に成功する(このプロセスが他のテーマと平行して第二シリーズ全体で描かれる)。


だが、母校の荒谷二中は依然として腐ったみかんを理由に不良や落ちこぼれに対する締め付けが厳しくなっており、不良側はこれに反発してさらに荒れ回り、ついには不登校者が出る程にまで悪化していた。荒谷二中の友人たちから、その現状を聞かされて救いを求めて縋られた加藤は荒谷二中職員たちの横暴な行為に我慢できず、また自らを頼ってきた友人たちを見捨てられなくなる。

苦悩の果て友を救う決断をした加藤は、他の不良生徒と共に荒谷二中に殴り込み、学校中を荒しまくり校長と学年指導を監禁してしまう。そして加藤は自分らは腐ったみかんでは無く生徒の一人だと訴え、今までの行為を謝罪するように要求する。結果的に荒野二中側は自分達に非があった事を認め謝罪し、自分は腐ったみかんではない事が遂に認められたがその代償として加藤は警察に逮捕されてしまう。

その後、金八らと桜中学の校長や教員ら、さらに加藤が就職する事になっていた工場の社長をはじめとする桜中学のPTA役員たちの説得のおかげで加藤は無罪放免となり、釈放の際に金八からケジメのビンタを受けると同時にお前は俺の生徒だ、忘れるんじゃないぞと抱擁され、加藤は金八が(そして桜中学の先生超たちや、誰よりも3年B組の皆が)自分を腐ったみかんでは無く3年B組のクラスメイトかつ人間としてずっと見ていてくれていた事を悟るのだった(ここが第23回・第24回「卒業式前の暴力」)。


そして、この年の桜中学卒業式。その卒業生代表の壇上には加藤の姿があった。加藤は自分をかばってくれた社長が経営している地元の自動車修理工場に就職。働きながら定時制高校に通う事となった。自らを庇ってくれた人たちの愛情を身に刻み、社会の一員として誇りを持って働きながら勉学に励むその姿は、かつて腐ったミカンと蔑まれた男が取り戻した「人間の誇り」であった(第二シリーズ最終回「サヨナラ金八先生」)。


関連タグ

3年B組金八先生 セリフ 名言


腐ったミカン:この考えの末路に関しては、こちらを参照。

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