概要
たとえ話の一つで、「組織内の悪人や不良が集団ごと腐敗させる」という意味で使われる。
「腐ったリンゴ」とも言われる。
腐敗したミカンから発生したエチレンガスが、他のミカンの追熟や腐敗を促進させることに由来する。
ミカンにたとえるのは日本のみで、これは1980年のテレビドラマ『3年B組金八先生』でそのように表現されたためである。英語圏では「Bad Apple」が使われる。
教育関係者の間では、それ以前より常態化されていた有名なたとえであり、実際に学級崩壊の発端となるのは少数の不良生徒であることが多い。
ただし『金八先生』では、このたとえを用いる教育者に対するアンチテーゼを示し更生の重要性(教育の更生機能の重視)を訴える展開が繰り広げられている。→腐ったミカンの方程式
実際、単純に不良を切り捨てては、切り捨てられた先でも問題を起こしかねないので、社会におけるマクロ視点では、彼らをいかに更生させるか、という事も重要である。また切り捨てたところで残りの中から、また新たな問題児が登場する可能性も否定できない。ゆえに基本的には、この手の切り捨て論は、ほぼ無意味と指摘される事がある。
もっとも切り捨てる側はそれすらも見越した上で切り捨てている事が多い。切り捨てられた先で問題を起こしたとしても、それは「受け入れた側が悪い」「切り捨てるしかないのだから、どんどん切り捨てればいいのに」とする責任転嫁を行い無責任を貫くケースがよく見られる。その方が組織として圧倒的に楽でコスパもよいので。
また「残りの中から新たな問題が生ずる可能性がある」事から、そのリスクの回避のために該当の不良と少しでも交流があった人間(親戚・幼馴染・同窓生や同じ学校の出身者など)は、その本人が不良の行動を起こしていなくても切り捨てるという苛烈なケースも存在する。
さらには、こうして切り捨てた者を他の組織(同業のライバルが望ましい)にあえて押し付ける事で、その組織を機能不全に陥れて倒れさせ、のちに、そのシェアを奪う事ができるという外道思考の企みを張り巡らせるケースもある。
2019年には追手門学院の研修で、外部コンサルタント(ブレインアカデミー社)が同校の職員をこの表現を用いて罵倒し、うつ病や退職に追い込んでいたことが問題となった。
企業においては、幹部の交代をきっかけにブラック化することが多く、これは腐ったミカンの好例と言われる。あるいはこれや前述の教育現場での用例などを理由に、腐ったミカン理論を擁護する言説は後を絶たない。
だが、これは社会全体の長期(マクロ)的視点や福祉的観点をもって状況を俯瞰してみた場合には害悪しか無い、と指摘される。これ自体は歴史が証明している。
そもそも、この価値観が行き着く先というのは基本的には選民思想や優性論であり、さらに究極的にはこれを根拠とした恐怖政治や大量虐殺(民族破壊やジェノサイド)といった人道に対する罪に至り得る。
なので運悪く、この論を掲げる者に遭遇した場合には「ダメージが少ないうちに早めに距離を置き、最終的には交流を絶つ」事が肝要とされる。そうしないと逆に自身こそがどんな片棒を担がされるか解ったものではない。
「腐ったミカン」を声高に叫ぶ者は、実は他ならぬ叫んでいる本人自身が「腐ったミカン」になっているというケースは存外に多い。
他者を簡単に切り捨てる者は、長じては自らもまた、他者に簡単に切り捨てられてしまうものなのである。
似た意味で使われやすい言葉
- 朱に交われば赤くなる
- 水は低きに流れる
- 悪貨は良貨を駆逐する