ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

松平頼桓の編集履歴

2024-04-15 05:42:14 バージョン

松平頼桓

まつだいらよりたけ

松平頼桓とは江戸時代中期の大名。

生没年 1720(享保5)年~1739(元文4)年

官位 従四位 讃岐守・侍従


高松松平家の分家・大膳家の2代当主・頼煕の次男。

経歴

本家である高松藩3代藩主・松平頼豊は長男が宗家である水戸徳川家を継ぎ(水戸藩4代藩主・徳川宗尭)、代わって嫡子となった3男の頼治が早死にしてしまった。そこで頼桓が用紙として迎えられ、頼豊の十二女・春姫の婿となった。

1735(享保20)年に養父・頼豊が亡くなり高松藩主となる。在任中に藩校講堂を再興したが、20歳で早死にした。

子はなく、長弟は阿波徳島藩主の蜂須賀家へ養子入りしており(蜂須賀宗鎮)、次弟の頼央は2歳だった(後に宗鎮の養子となり蜂須賀至央)ため、同じ水戸徳川家分家の守山松平家から頼恭が養子入りし相続した。


外部リンク

松平頼桓 - Wikipedia


関連タグ

武家 高松松平家 高松藩

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました