生没年 1720(享保5)年~1739(元文4)年
官位 従四位 讃岐守・侍従
経歴
本家である高松藩3代藩主・松平頼豊は長男が宗家である水戸徳川家を継ぎ(水戸藩4代藩主・徳川宗尭)、代わって嫡子となった3男の頼治が早死にしてしまった。そこで頼桓が養子として迎えられ、頼豊の十二女・春姫の婿となった。
1735(享保20)年に養父・頼豊が亡くなり高松藩主となる。在任中に藩校講堂を再興したが、20歳で早死にした。
子はなく、長弟は阿波徳島藩主の蜂須賀家へ養子入りしており(蜂須賀宗鎮)、次弟の頼央は2歳だった(後に宗鎮の養子となり蜂須賀至央)ため、同じ水戸徳川家分家の守山松平家から頼恭が養子入りし相続した。