1960年4月28日奈良県生まれ、大阪育ち。
早稲田大学在学中に小田実などの影響で左翼運動に開眼し
左翼系出版社「第三出版」でアルバイトをし、同社社長で元日本赤軍メンバーだった
北川明などの助力でNGO「ピースボート」を設立。
同団体のフロントマンとしてTV出演等もこなす運動家となる。
政治家デビューするも2002年に給与流用事件が発覚し辞職、その後逮捕され
執行猶予判決を受けた。この際公金横領について「一種のワークシェアリング」という迷言を残している。
2005年に所謂比例ゾンビで復活当選し政界復帰。
2009年(平成21年)9月に発足した民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣において、国土交通副大臣に就任した。その後福島瑞穂が鳩山と袂を分かち2010年に連立を解消した際、一旦は副大臣を党に従って辞めたものの、すっかり政権中枢にいる楽しみを覚えてしまったらしく「辞めたくない」と会見で涙し、同年7月についに社会民主党を離党した。
この後ろ足で砂をかけるような離党に流石の福島も「応援した人を裏切っていくことは、一人の政治家として良いことではない。理念より権力に近寄る方を選択すると思ってしまう」とあきれかえっていた。
2011年9月10日に民主党に入党届を提出、災害ボランティア活動担当の内閣総理大臣補佐官に就任、
翌年の首相交代にともない退任。