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式守伊之助の編集履歴

2024-05-31 05:23:07 バージョン

式守伊之助

しきもりいのすけ

相撲の行司の名跡。右の神主みたいな方。

概要

木村庄之助と共に行司のツートップ、いわば行司の横綱である立行司を担う偉い人。

役目は行司の記事を参照。

 

武士みたいな名前だがそれもそのはずで、初代は江戸時代半ばまでさかのぼる。

以来弟子たち(式守家)の中から三役を裁く行司が立行司になる時襲名されるのが通例…というか義務となっており、現在までに41代続いている。

なおツートップと書いたが実際には木村庄之助の方が格上(つまり伊之助はNo.2)で、これが空位になった場合は伊之助が襲名。そして41代が38代木村庄之助を継いだが、これに伴う42代伊之助の人事が無かったため、2024年の一月場所からは伊之助は不在になった。

ちなみに両方不在になった場合は先に伊之助を襲名することが定められており、これを経てようやく「木村庄之助」の名を継ぐ事が許される。なのでその期間中は庄之助が不在になる。

ただし庄之助は式守が始まる前から存在していたため、過去には伊之助を経由しない庄之助も存在、また木村と式守が完全に分離されていた時代には現在とは逆に伊之助が首席で庄之助が次席となった例も存在した。

   

まさかの不祥事

立行司、式守伊之助

時は2017年、第40代が巡業先の宿泊先で未成年行司にセクハラ(無理矢理キスした)という事件が発生。これにより彼は翌年初場所から3場所の出場停止処分を受け、処分が明けた2018年5月31日付で退職した。

 

伊之助あれこれ

  • 出番

結び前の二番(最後から三番目と二番目の取組)を裁く。結びの一番は木村が担うが、いない場合はそのまま伊之助が結びとその前の二番を裁く。逆に伊之助がいなければ三役各筆頭が庄之助直前の二番を裁く(突発的な交代を必要とする事が無い限り庄之助は常に一番のみ)。

 

木村と伊之助は短刀を携えているが、これは「もし横綱の大一番で誤審(刺し違え)があったら切腹する」という覚悟のあらわれ。

流石に切腹した行司はいないものの、現代では理事長に進退を伺うのがしきたり。そのくらい責任重大なのだ。進退伺に対して退職の結果が出た例は無いが、数日の出場停止くらいは幾度か実例がある。

 

  • 伊之助カラー

メイン画像では朱色だが、伊之助の軍配の房・装束の菊綴(きくとじ。和装の襟や袖にあるポンポン)は紫白と決められている。

ちなみに庄之助は紫一色で、三役の行司が朱色。装束の色については特に決まっていない(素材は定められており、夏が麻布、冬が)。

 

  • 草履

三役以上の行司たちは草履を履く事が許されるが、これは昭和35(1960)年から。元々は立行司である伊之助と庄之助(あと三役行司の一部)の特権だった。

 

  • 軍配

初代が使っていた由緒ある逸品で、20代目からは代々受け継がれている(譲り団扇という)。

普段は相撲博物館に収蔵されていて、必要な時にレンタル。

表の漢字6文字は解読不能だが、裏には「いにしへの ことりつかひの おもかけを 今ここに見る 御世そめてたき」と書かれているらしい。

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