曖昧さ回避
パワポケの登場人物⇒木村庄之助(パワポケ)
解説
「番数も取り進みましたる処、片や〇〇、此方△△」
「この相撲一番にて、本日の打ち止め~~!!」
※四股名は二回ずつ呼ぶ。ちなみに千秋楽の場合「この相撲一番にて千秋楽(に、ござります)」
行司の名跡のひとつで、式守伊之助と共に「立行司」と呼ばれるえらい人。
この「二人」はいわば行司の横綱にあたり、それも式守より格上なので一番えらい立場。
※ただし歴史上2人だけ次席、すなわち伊之助よりも下の地位で番付に記載された庄之助もいる。とはいえこの2名も最終的には首席として土俵に立っているため、全員首席と表記してもよい。
役目については行司の記事を、もっと詳しく知りたい人は木村庄之助(Wikipediaの記事)参照。
なお初代は江戸時代前期の人物とされ、単純な歴史は式守より長い(初代伊之助は江戸中期)。
しかし代数はこっちの方がやや少なく、式守伊之助は42代目だが、木村庄之助は38代目。また初代庄之助は記録が乏しいため、二代目、もしくは4代目からが実在した人と考えられている。
※江戸時代の終盤に系図が編纂された際、箔付けのために初代~3代目をでっち上げて水増ししたとされる。二代目庄之助(木村喜左衛門)は実在が確認されているが、生前は庄之助を襲名しておらず、この時に二代目として記載された。
現在は「式守伊之助」を経て木村庄之助に昇格することが定められているが、上記の「伊之助より下位の庄之助」は制度が正式に整備される前だったので仕方ない。
最高位ゆえに歴代の庄之助には傑出した名行司が多く、中には庄之助として長く在位しながら、その間にただの一度も差し違える事無く引退に至った者も存在する。ただし、かつて順送り出世(つまり年功序列)が基本だった頃には問題児もいたらしい。
何しろよほどの事がなければそれを外される事が無かった(=長年勤めてさえいればほぼ確実に昇格できる)わけで、ただ出世だけして「木村庄之助」を名乗るに相応しい"質"のないヤツがいてもおかしくない土壌だったのだ。
そのため現在では多少制度が変わり、従来の順送りを基本とはしながらも、時と場合によっては誰を出世させるか審議となる場合もある。それにより大抜擢され順番から考えられるより大幅に早く襲名した例もある一方で、庄之助になれるはずの立場にありながら届かなくなった者もいる。
ちなみに立行司は短刀を携えているが、これは「横綱の大一番で誤審(差し違え)があったら切腹して責任を取る」という覚悟の意味。最高位ともなるとそれ程の責任が伴うものなのである。
※流石に切腹した行司はいなかった。本当に差し違いがあった場合理事長に自身の進退を伺うというのがしきたりで、これで実際に受理され引退に至る例はないが、進退伺を拒んで退職に至った者はいた。
なお審判役以外にも番付表の作成など色々な裏方作業があり、地位が高い分やることも多い。
逆に立行司になればやらなくなる仕事もあるのだが、立行司だからこそしなければいけない仕事量が上回り、しかもそれはもれなく重責を伴うためプレッシャーも大きくかなりハードな役職。このためか、本来なら立行司になれる人がこれを断り他者に譲った例も存在する。
ちなみに立行司に欠員があったり休場していたり等の際には三役格の行司が代理となる。
メイン画像では菊綴の色が朱となっているが、これは三役格の色であり、実際に庄之助が用いるのは紫である(伊之助は白と紫の半々)。