式守伊之助
しきもりいのすけ
木村庄之助と共に行司のツートップ、いわば行司の横綱である立行司を担う偉い人。
役目は行司の記事を参照。
武士みたいな名前だがそれもそのはずで、初代は江戸時代半ばまでさかのぼる。名跡の由来は初代の本名が伊之助だった事から。
以来弟子たち(式守家)の中から三役を裁く行司が立行司になる時襲名されるのが通例…というか義務となっており、現在までに42代続いている。
なおツートップと書いたが実際には木村庄之助の方が格上(つまり伊之助はNo.2)で、これが空位になった場合は伊之助が襲名。そして41代が38代木村庄之助を継いだが、これに伴う42代伊之助の人事が無かったため、2024年の一月場所からは伊之助は不在になった。結局同年9月場所より42代伊之助が登場し、久しぶりに立行司2名が揃ったのだが、庄之助の停年の関係でこれは1場所限りとなる事が決まっている。
ちなみに両方不在になった場合は先に伊之助を襲名することが定められており、これを経てようやく「木村庄之助」の名を継ぐ事が許される。なのでその期間中は庄之助が不在になる。
ただしこれは制度が整備されてからの話で、庄之助は式守が始まる前から存在していたため、過去には伊之助を経由しない庄之助も存在していたし、また「木村」と「式守」が完全に分離されていた時代には現在とは逆に伊之助が首席で庄之助が次席となった例も存在した。
- 出番
結び前の二番(最後から三番目と二番目の取組)を裁く。
結びの一番は庄之助が担うが、いない場合はそのまま伊之助が結びとその前の二番を裁く。逆に伊之助がいなければ三役各筆頭が庄之助直前の二番を裁く。
なお突発的な交代を必要とする事が無い限り、庄之助は常に結び一番のみである。
木村と伊之助は短刀を携えているが、これは「もし横綱の大一番で誤審(刺し違え)があったら切腹する」という責任感と覚悟のあらわれ。
流石に切腹した行司はいないものの、現代では理事長に進退を伺うのがしきたり。進退伺に対して退職の結果が出た例は今のところないが、数日の出場停止くらいは幾度か実例がある。
- 伊之助カラー
メイン画像では朱色だが、これは三役の行司に割り当てられた色で、伊之助の軍配の房・装束の菊綴(きくとじ)は紫と白である。ちなみに庄之助は紫一色。
現在は白と紫の半々だが、昭和34年までは白い部分が現在よりもかなり少なかった。当時は白と紫の半々は第3席立行司の木村玉之助(副立行司への降格後も同様)が用いていた。
装束の色については特に決まっていない(素材は定められており、夏が麻布、冬が絹)。
※菊綴:和装の襟や袖にあるポンポン。ただの飾りではなく、結び目を固定しやすくするためという実用的な理由がある装飾。
- 草履
三役以上の行司たちは草履を履く事が許されるが、これは昭和35(1960)年から。元々は立行司である伊之助と庄之助(あと三役行司の一部)の特権だった。
- 軍配
初代が使っていた由緒ある逸品で、20代目からは代々受け継がれている(譲り団扇という)。
普段は相撲博物館に収蔵されていて、必要な時にレンタル。
表の漢字6文字は解読不能だが、裏には「いにしへの ことりつかひの おもかけを 今ここに見る 御世そめてたき」と書かれているらしい。