沖縄県出身。1967年生まれ。
高校時代に帰化しローレンス・フランクリン・デニーから友利結となる。
1987年、興南高校から大洋ホエールズに入団。
1995年から登録名を「デニー友利」に変更。以降もデニーやデニー友利を使い分ける。
2003年に古巣横浜ベイスターズに復帰。
この年は、50試合以上に登板したものの1勝8敗と大きく負け越したため、
「ピッチャーデニー」が山下大輔監督の采配の問題点とされた。
ボストン・レッドソックスに入団するもメジャー昇格はならなかった。
2006年に中日ドラゴンズに移籍。2007年に引退。
その後レッドソックス巡回コーチ・解説者などを経て2012年より横浜DeNAベイスターズの投手コーチとなる。
ベイスターズのユニフォーム発表では(当時まだ活躍していなかったにもかかわらず)ユニフォームのモデルとして選ばれたり、元同僚のレイノルズに「モデルをやっていればヒバリーヒルズに住める男」と評されたりと現役時代からイケメンで知られており、四十を超える今も結構なナイスミドル。
しかし、結構苦労人であり、父親が子供の頃に蒸発したため母子家庭でもあったりする(現役時代からそんなことはおくびにも出さないが)。そんな中本人の努力もありプロ野球選手として活躍できるまで成功した事は評価されるべきであろう。そのせいか現役時代からファンサービスに熱心であり、また母子家庭の親子を招待する「デニーズシート」を設けていた