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沖縄県出身。1967年生まれ。アメリカ人の父と日本人の母から生まれたハーフ。

高校時代に帰化しローレンス・フランクリン・デニーから友利結となる。

1987年、興南高校から大洋ホエールズに入団。

1995年から登録名を「デニー友利」に変更。以降もデニーやデニー友利を使い分ける。

入団当初から期待値は高かったが、コントロールの悪さに悩まされて中々芽が出なかった。1993年にはこれまでのオーバースローからサイドスローへ転向すると、徐々に成績を残していく。

1997年に西武ライオンズ移籍。当時の東尾修監督にリリーフとして抜擢され

同じサイドスローの鹿取義隆潮崎哲也の助言もあり才能が開花し同年の優勝に貢献。

1998年も連覇に貢献し同年のオールスターゲームと古巣ベイスターズとの日本シリーズにも登板した。

2003年に古巣横浜ベイスターズに復帰。

この年は、50試合以上に登板したものの1勝8敗と大きく負け越したため、

「ピッチャーデニー」が山下大輔監督の采配の問題点とされた。

その後ボストン・レッドソックスに入団するもメジャー昇格はならなかった。

2006年に中日ドラゴンズに移籍。2007年に引退

その後レッドソックス巡回コーチ・解説者などを経て2012年より横浜DeNAベイスターズの投手コーチとなり、2014年に中日ドラゴンズに移籍。

2017年シーズン途中に海外スカウト担当に異動。

ベイスターズのユニフォーム発表では(当時まだ活躍していなかったにもかかわらず)ユニフォームのモデルとして選ばれたり、元同僚のレイノルズに「モデルをやっていればビバリーヒルズに住める男」と評されたりと現役時代からイケメンで知られており、四十を超える今も結構なナイスミドル。

しかし、結構苦労人であり、父親が子供の頃に蒸発したため母子家庭でもあったりする(現役時代からそんなことはおくびにも出さないが)。そんな中本人の努力もありプロ野球選手として活躍できるまで成功した事は評価されるべきであろう。そのせいか現役時代からファンサービスに熱心であり、特に西武時代には西武ドームのシーズンシートを購入、そこに母子家庭の親子を招待する「デニーズシート」を設けていた。

また、そのイケメンからは想像もできない程の熱血漢かつ兄貴肌で、西武時代には松坂大輔の教育係係を務めたり、クロスプレーで伊東勤に対して危ないタックルをしたタフィ・ローズ相手に激昂したり(ただし中継の解説からは「やられた当人(=伊東)が言うならまだしもデニーが文句をつけるのはちょっとまずいですよね」と苦言されている)、横浜のコーチ時代には逃げの投球をする投手に対してマウンド上でビンタをかまして気合を入れたりと、その熱い性格を象徴する逸話には事欠かないため、ファンからは「デニキ(デニー+アニキ)」などと呼ばれることも。

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