長岡京
ながおかきょう
長岡京とは奈良時代末期に京都にあった都。
歴史
延暦3年(784年)に桓武天皇は平城京から長岡の地に遷都の詔を公布し造営が開始された、遷都の理由は平城京内の仏教勢力からの離脱、父光仁天皇の即位によって皇統が天智系に戻ったことによる人心一心、長岡辺りを拠点とする秦氏などの渡来系氏族との関わりなどを理由に行われた、翌年の延暦4年(785年)に造宮使の藤原種継が暗殺され反対派の大伴氏や佐伯氏らが捕らえられ更に天皇の弟で皇太子の早良親王が関与していた疑いをかけられ廃太子の故に淡路国へ流罪となった、事件後に飢饉や疫病の流行や天皇の母、皇后、妃の死去が続いた結果、早良親王の怨霊によるもので鎮魂を試みるが洪水が2回起き、延暦12年(793年)に和気清麻呂の進言によって翌年の延暦13年(794年)に山背国葛野郡に都を遷都し平安京の造営が行われた。