フレクト・ターン
ふれくとたーん
『では、始めよう…人類の…救済を』
概要
『“個性”は世代を経る毎に混ざり深化し、いずれコントロールできなくなる』とする《個性終末論》を掲げ、『人類の救済』と称して、世界中の“個性”所持者を殲滅せんと企む謎の組織・ヒューマライズの指導者。
真っ青な肌が特徴的な中年男性で、普段は赤いマントを身に纏っている。
個性
個性は『リフレクト』。
あらゆるものを反射する常時発動型の個性。
外部骨格型装置「アラクネ」を用いて反射に指向性を持たせる事で、空中浮遊なども可能。
ちなみに光も跳ね返すためそのままだと目も見えず、眼窩に埋め込まれたアイマスクによってなんとか見えるようにしている。
関連タグ
治崎廻:同じく「個性は病」という考えを持つが、彼の場合は無個性者の救済ではなく自らが率いる死穢八斎會の復興を目論んでいる点が異なる。
彼の生い立ちとその結末
この先、映画本編のネタバレ注意
個性保持者でありながら、なぜフレクトは無個性者の救済を目指すのか。
それには彼の生い立ちが深く関わっていた。
フレクトの個性『リフレクト』は非常に強力な個性であったが、その力が強大すぎるために両親からは一度も抱いてもらえず、友人と呼べる存在もおらず、恋愛をすることも叶わない、他人どころか家族からの温もりも受けられない孤独な人生を強いられることとなった。
自身の将来を悲観し自ら命を絶とうともしたが、その個性故死ぬこともできないという生き地獄を味わうこととなる。
個性によってまともな人生を歩めなかった彼が『個性=悪』の思想を持つのは想像に難くなく、やがて世間的には俗説扱いされている《個性終末論》に傾倒、ヒューマライズを結成するに至る。
強力な個性がフレクトの人生に深い影を落としたことは確かに不憫と言える。
しかし、彼の思想・行動は個性を敵視するあまり『個性保持者も同じ人間』である点が完全に欠落してしまっていることに尽きる。ましてや捻くれた思想のために無辜の民を巻き込む時点で、やっていることはそこらのテロリストと何ら変わりはない。
さらに彼の行動原理も結局は自身の私情によるところが大きく、《個性終末論》を標榜することで自身の思想や行動を正当化したいという思いもあったのかもしれない。そもそも、個性保持者へのヘイトが彼の最大の行動原理であることを踏まえると、『無個性者の救済』を本気で考えていたのかどうかは疑問が残るところである。
彼も自身の個性をコントロール出来る様に努力はしていただろうが、たとえ努力してもなお結果が実らず諦める形になったとしても、そのマイナスの感情を社会に向けることは側から見ればただの八つ当たりでしかなく、許容されるべきものではない。
本編では無個性の苦悩が度々描かれていたが、フレクトはその逆で持った個性により苦悩するという緑谷とは対になるかのようなキャラであり、そして彼もまた、個性社会の負の側面を表しているといえる。
関連タグ2
どみねすとろんぐ:強大な力を持つ故に周りから疎外された者つながり。ただし過去に一度だけ親友ができたが不幸が重なり崩壊してしまい、現代で世界崩壊を狙ったがその親友の子孫に阻止され、先祖や今まで疎外してきた人々に代わり謝罪を受けたことで改心しているためフレクトのようになっていない。